2012年6月25日月曜日

生活保護の申請をしました

僕は生活保護の申請をする事に決めた。


以前のエントリ(住宅手当の審査に通らなかった=生活保護しかない?)で書いた通り、

社会福祉協議会の総合支援資金・住宅手当の審査に通らなかったので。

審査に通らなかった後も、簡易宿泊所で生活し、日雇い労働で稼いで部屋を借りるつもりだった。

でも、簡易宿泊所での食費や光熱費etcも全て税金。

長くはいられない。

ケースワーカーの人にも言われた。

「生活保護しか無いよ」と。


絶対に嫌だった。

僕は大学は出てないけど、高校を卒業してずっと働いてきた。

働いてお金を稼いでちゃんとした家庭を築くんだと思って生きてきた。

そう思って頑張って働いてきたのに。

不正受給狙いのチンピラにも言われた。

「今まで払ってきた税金、どうせいつか年金もらうんだから、早めに返してもらうだけだろ」

チンピラに諭されたら終わりだ・・・(´;ω;`)


でも、事実どうしようもなかった。

日雇いの仕事が毎日あるわけでもないし、

日当だって6000円程度。

部屋を借りる初期費用・家具の購入まで考えると厳しいものがあった。


結局、申請する事にした。

早く社会復帰して就職したい。

就職して、お金を稼ぎたい。やはりその為には早急に住居を確保しないと。


役所の保護課に行き、申請をした。

・現在の居所→簡易宿泊所
・現在の収入→日雇いの仕事で6万円程
・貯金→0円
・手持ち→1000円
・借金→無し
・血縁者→絶縁状態
・血縁者に通知を出しても良いか→やめて欲しい
・就職する意思はあるか→就職したいからまずは住居を確保したい

という感じで簡単な聞き取りがあった。

僕の親はカルト宗教にどっぷり浸かっている。

日常会話の全てがカルト宗教に繋がる会話だった。

仏壇の前にいる時に話しかけたら激怒する様な人だった。

酒鬼薔薇聖斗と被害者は源氏と平家の生まれ変わりで云々という話を真剣にしていた。

朝から晩まで宗教宗教宗教という生活だったので、

僕は嫌気が差し、高校卒業と同時に仕事を始めて、家を出た。

その後何度か実家を出入りしたが、もうお互いの連絡先も住居も知らない。

通常、生活保護を受給する流れの中で、

血縁者に通知を必ず出す事になっている様だが、

事情がある場合、免除される事が多いとの事だった。


「まだ若いし、職歴もあるんだから、早めに自立する事を考えて生活してください」

と、思っていたよりも緩い雰囲気で役所の人は話していた。

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