2012年7月31日火曜日

僕の話(就活をしていた頃)

自分達で立ち上げた会社を、

僕はあっさりと後にしました。

もう一度就職して、今度はちゃんと方向性の合う人といずれ独立しよう。

30歳くらいまでは勉強したりしよう。

そう思い、就職活動をする事にした。


IT企業から呉服関係まで、

営業職を中心に片っ端から応募した。

ある程度体育会系な会社でも大丈夫な自信があったので、

選り好みせず、どんどん面接に行った。

でも、就職は決まらなかった。


採用された会社もいくつかったけど、

保証人がいないというのでダメになった。

それは覚悟の上だったけれど、

でも少し甘く考えすぎていたのかもしれない。


そうこうしているうちに、就活中の生活費も少なくなって来たので、

派遣のアルバイトを始めた。

ネット上でも、荷扱いが荒いというので有名な物流の会社だった。


生まれて初めてのブルーカラー。

ハッキリ言ってめちゃくちゃしんどかった。

精神的には耐えられたけど、体力が全然もたなかった。

生まれてこの方、運動なんてロクにした事もなかった。

水のペットボトルが何本も入ったケースを延々と積み上げたり、

10tトラックから荷物を下ろしたり、積み込んだりという作業は、

運動経験ゼロの僕には地獄だった。

初めて勤務した翌日は、筋肉痛で動けなかった。

でも働かなきゃ就職が出来ない。

早く就職する為に、何とか毎日働いた。


一月もしてだいぶ仕事に慣れてくると、

他の現場にも行かせてもらえる様になった。

病院内で薬品を運搬する仕事や、

印刷工場での仕事。

どれもしんどかったけど、

体力が付いてきた事もあり、

汗を流して働くというのも意外と悪くないなぁなんて思い始めていた。

少し健康的な身体になりつつあるのも嬉しかった。


同じ派遣スタッフの友達もいくつか出来た。

ワケアリの人が多かったけど、

みんな毎日必死に働いていた。

僕はそういう人が凄く好きな事に気付いた。

多分、父親と母親と真逆のタイプだからだと思う。

借金だらけなのに必死に働こうとはしない父親と、

現実から逃げてカルト宗教にのめり込む母親。

一生懸命働いている人が好きなのは、親とは真逆だからかもしれない。


派遣のアルバイトを初めて半年が過ぎた頃、

実家が引っ越す事が分かった。

僕はその頃実家で寝起きしていて、

ある日起きたらメモが置いてある事に気付いた。


「来週引っ越す事になりました」


目が点になった。

どう考えてもおかしいだろう。

いくらお互いに会話が無いからと言って、

もう少し早く教えてくれるもんなんじゃないのか。

でも文句を言っている暇も無かった。

一週間で部屋なんか探せるだろうか。


そんな時、中谷から連絡があった。

特に内容も無い、「最近どうしてる?」程度の連絡だった。

仕事のやり方は嫌いだったけど、人間的には別に嫌いでもなかったので、

就活をしている事や、派遣で働いている事を話した。

中谷は中谷で、新しい仲間を見つけ、前より良い方向に進んでいる様だった。

従業員も前より増えているらしかった。

城島は相変わらずサボり癖が治らず、

もうほとんど働いていないとの事だった。


僕は中谷に、一週間以内に引っ越さなければならない事を伝えた。

不動産管理会社といくつか繋がりがある事は僕も当然知っていたので、

良い物件を紹介してもらえたらという思いがあった。

中谷はあっさり管理会社を紹介してくれた。

書類上、契約は来月からになるけど、すぐにでも入居して良いとの事だった。

この時ばかりは流石に中谷に感謝した。

急いで荷物を纏めて、アパートに入居した。

お世辞にもキレイなマンションには程遠い作りだったけど、

彼女がいる訳でも無いし、

男一人が貧乏暮らしをするには丁度良い部屋だった。


その時僕はすでに25歳になっていた。

良い歳だ。

どんどん焦る様になっていた気がする。


年を越して1月になっても、

僕はまだ派遣で働いていた。

就活は全然上手く行っていない。


そんな時、中谷から連絡があった。

「また一緒にやらないか?」という連絡だった。

僕はすぐに断った。

一緒にやっても上手く行くイメージが無かった。

でも中谷はしつこかった。

最終的に、

従業員として雇う事と、就職が決まり次第辞める事を条件に、

僕は中谷の会社に社員として入社した。


これが全ての間違いだった。

2012年7月29日日曜日

僕の話(独立した頃の話)

働いていた会社に、愛知支店が業務停止処分を下された事をきっかけに、

僕は会社を辞めた。

高校生の時から数えると、4年ちょっとの勤務だった。

長いような、短いような。

辞めてみるとすごくあっけない気分だった。


会社を辞めた後、僕は同じ業界の会社に入った。

と言っても、前にいた会社よりは随分とマシな会社だった。

新しい会社も教育関係の会社だったが、

以前の職場みたいに、高額な教材を無理矢理ローン契約で買わせる様な会社ではなかった。

そこで、中谷という男に出会った。

中谷はそこの支店長だった。


自分では気付いていなかったが、

僕も少しは営業の事も分かってきた様だった。

まだまだ「バリバリの営業マン」と言うには程遠かったけど。

順調に業務をこなして行き、数ヶ月した頃、

中谷から独立を誘われた。


正直な所、僕は独立して仕事をする事に興味があった。

実家の状況が状況だったので、

人より多く稼がないと、将来が真っ暗だと思っていた。

将来結婚して、子供を育てて、ちゃんとした家庭を築きたい。

そのためには、人より多い収入が必要だ。僕はそう思っていた。


僕は中谷と一緒に独立する事に決め、

以前の会社で仲良くなった城島を誘った。

城島も自営業に興味があったみたいで、あっさり誘いに乗ってきた。


今思えば、相当無計画だったと思う。

それぞれ貯金もそんなに無かったので、

場所を探すのにも苦労した。

結局、マンションを一部屋借りて、

そこを事務所として使う事にした。

最初は法人化せずに仕事を始めて、

上手く回りだしたら法人化しよう、という感じで始めた。

従業員は、僕と中谷と城島の三人。


勢いだけで始めても意外と何とかなるもので、

事務所はマンションだけれども、

中に机を置き、電話を引き、PC等を置いて行くと、会社ぽくなったのを覚えている。

応援してくれる人もたくさんいた。

以前同じ職場にいた人や、その人の紹介。

様々な人から仕事を紹介してもらい、仕事も手伝ってもらい、

徐々に「自営業は楽しいかもしれない」と思える様になった。

あまり儲かってはいなかったけれど。


仕事で使う資料から名刺からマニュアルまで、

全て自分達で作った。楽しかった。

ほとんど以前いた会社の劣化コピーという感じだったけど。

お金の事もそうだけど、

全部自分たちで責任を持って、考えてやって行くというのがたまらなく楽しかった。

「明日はどうしようか」「来月はどうしようか」

頭の中は仕事の事でいっぱいだった。

あんなに苦手だった営業も、楽しく思える様になって来た。


しばらくすると、求人誌に求人広告を打ち、

アルバイトも雇えた。

人が徐々に増え、マンションでは流石に狭くなって来た。

少しずつ少しずつ、会社になって行くのが楽しかった。


だけど、徐々に三人の方向性のズレが大きくなって来た。

城島は、父親が市会議員・母親が税理士という家に育った。

それなりに金持ちみたいだった。

城島が独立したかったのも「会社員はしんどいから」という理由だった。

城島は、毎日事務所に来て、ダラダラ誰かと一日話すだけという毎日になった。

中谷も、「雨降ってるから営業回るのやめよう」等と言い出す様になった。


自営業を始めた当初は緊張感もあったのだけれど、

今までみんな会社員だったから、

急に自由に働ける様になって、ダラダラし始めたのだ。

僕だけが焦っていた。

雨でも雪でも一人で外回りを続けた。(当たり前の話だが)

毎日毎日仕事の事ばかり考えた。

二人の事は嫌いじゃなかったが、仕事のやり方は合わないと思い始めた。

でも、今更辞める訳にも行かないので、

方向性について色々話しながら、仕事を続けて行った。


自営業を始めて三年程経った頃、

事務所を移転出来る事になった。

マンションの一室から、今度はちゃんとしたテナントを借りれる様になった。

仕事の関係で知り合った管理会社が管理しているビルで、

初期費用等もだいぶ安くしてもらえた。


そろそろ法人化かなぁという話が出始めた頃、

僕は一旦離脱する事に決めた。

この二人と法人化しても会社はコケるだろうと思っていた。

以前よりはマシにはなっていたが、

二人のサボり癖は相変わらずだった。

これ以上この二人とやってたら、

僕までダメになってしまいそうだと思った。


「ちょっとやりたい事が出来た」

そう告げ、僕は退職した。


もっと、ちゃんとした人達と働きたかった。

ダラダラした仕事をして、状況が悪くなるのは嫌だった。

25歳の夏だった。

2012年7月28日土曜日

僕の話(初めての就職)

高校を卒業した日の夜、

僕は夜行バスに乗り、埼玉へ向かいました。

数時間前までは高校生だったのに、

イキナリ違う世界に進んだ様に感じ、ワクワクしたのを覚えています。

城島(仮名)という人と一緒でした。

城島は僕の二つ上の歳で、その後も長い付き合いになりました。


埼玉に着いたのは、早朝6時頃だったと思います。

僕を埼玉への転勤に誘ってくれた上司、小野さん(仮名)の家へ向かいました。

土地勘が全く無いので、タクシーで向かったのを覚えています。


小野さんと合流し、埼玉支店へと向かいました。

社員の人と挨拶や自己紹介なんかを済ませ、翌日から勤務する事になりました。

埼玉支店の店長に小野さんが就任していたので、

何となく、やりやすい雰囲気でした。


埼玉に着いた翌日から、仕事が始まりました。

と言っても、僕は高校を卒業したばっかりです。

まだ世の中の事も知らず、

仕事も全然出来ません。


出勤したらまず、支店のトイレ掃除。

その後、支店長(小野さん)の机や電話を掃除。

その後も掃除や雑用を済ませて、

それから仕事をするという日々でした。

週に2日程、支店長の家の掃除もしました。

風呂からリビングから寝室まで掃除をしました。


当時は「何でこんな事やらなくちゃいけないんだ」

とふてくされていたのですが、

今思えば、高校を卒業したばかりの小僧の使い道というのは、

掃除や雑用くらいしか無かったんだろうなぁと思います。


また、怒られる事も非常に多かったのを覚えています。

ヒドイ時は、一週間毎日何時間も怒鳴られていました。

体育会系の訪問販売の会社だったので、怒り方もハンパでは無かったです。

言われている事は分かるのだけれども、

それに対してどうすれば良いのか全然分からなかった僕は、

ただ返事をするしかありませんでした。

仕事の仕組み自体、何も分かっていなかったのです。


支店長や、上司や、同僚からも怒られ続け、

日に日に僕は弱って行きました。

これが社会というものなんだなと、どこか他人ごとの様に感じていた時期もありました。


でも、逃げて実家に帰るという考えは全くありませんでした。

仕事をしても結果も出ず、楽しくはなかったハズなのですが、

それでも実家に戻るよりはマシでした。

逃げたくなる自分を騙して騙して、会社にしがみついていました。


僕は元々コミュニケーション能力も低く、

というより、高校の途中くらいから人を避ける様になってしまっていたので、

会話というものが極端に下手でした。

そんな僕がイキナリ営業が上手くなるなんて有り得ないと思い、

少しずつ話し方の本を買って勉強したりもしました。

すぐ結果に繋がるなんて事はありませんでしたが。


埼玉へ行って丁度半年ほど経った時、

小野支店長が「辞めようと思っている」と言いました。

お金の事で会社と揉めている様でした。

小野さんが辞めるなら僕も辞めようか。そう考えました。

良い結果も出せてないし、営業とかは僕には全然向いてないのかなと思っていました。


小野さんが辞める何日か前に、僕は京都に戻りました。

京都へ戻ってすぐ、京都本社へ挨拶へ行きました。

辞めようと思っていたのですが、

上の人達と少し話した結果、続ける事になりました。


実家は相変わらず狂っていましたが、

仕事があるおかげで、

家には寝に帰るという感じの生活になりました。

そしてそのうち、京都に僕と一緒に戻っていた城島の家に転がり込んだりして、

実家を出たり入ったりというのが何度かありました。


京都本社で勤務し始めてしばらくしてから、

正式な社員になれました。

丁度20歳くらいの時には、仕事が楽しくなって来ました。

会社自体はとてもグレーな会社でしたが、

ちゃんと働いてお給料をもらい、

両親みたいないい加減な人達にならない様にと、毎日頑張りました。


僕が21歳の時、愛知の支店が業務停止になりました。

愛知・岐阜・三重県の三県の消費者センターが合同で摘発するという、

前代未聞の出来事で、TVニュースにもなりました。


「このまま続けるのはヤバイんじゃないか」

そう考えた僕は、

城島と一緒に退職しました。

ちょうど今と同じ季節でした。

僕の話(高校時代まで)

僕は、京都市内の自営業を営む家庭に生まれました。
扱っている商品は、伝統芸能関係の商品でした。

母方の、曾祖父さんの代からある会社で、

昔は結構有名だったそうです。


僕の父親は婿養子でした。

母親には兄がいたのですが、ダウン症でした。

本来なら、長男に継がせる予定だったのがダウン症で生まれてきて、

次に生まれてきたのが母親で、そこで婿養子をとろうという事だったのだと思います。


昔はそこそこ流行っていた会社だった様ですが、

僕が小学生の頃にはもう借金まみれでした。

父親はあまり家に帰って来なくなり、

母親はカルト宗教にのめり込みました。


母親は、いつも仏壇(?)の前にいました。

ウチの母親が、友達のお母さんとちょっと違うというのは、

中学生くらいの時に気づきました。


家にいる時はTVを観てるか、仏壇の前で何かブツブツ言っていました。

小学生くらいの時、宗教団体の施設に無理やり連れて行かれた事も何度かあります。

酒鬼薔薇聖斗の事件があった時、

「加害者と被害者は源氏と平氏の生まれ変わりで、何代にも渡って殺し合っている」

という訳の分からない話を、何度も何度も聞かされました。


「先生(教祖?)が、何も無い所から火を点けたの!」

「今日お祭り(宗教関連の祭典)の最中、雲の形が鳳凰の形になってた!」

そんな話を毎日毎日聞かされ、

食事中には、教祖が説法をしている様子を収めたテープを聞かされました。


高校生になっても家は相変わらずの状態でした。

借金まみれなのにロクに働かない父親と、カルト狂いの母親。

僕は学校にも家にもあまり寄り付かなくなりました。

学校の友達とは、何だか自分が違う人種の様な気がして、馴染めなくなっていきました。


小遣いももらっていなかったので、

小中学生の時に、親戚からもらったお年玉を貯金していたものを切り崩して生活していました。

ですが、そのうち貯金も尽き、僕はアルバイトを始めました。

親からお金がもらえないし、もらいたくもなかったので、

時給のみでアルバイトを選びました。

僕が選んだのは、訪問販売のテレアポのバイトでした。


当時、訪問販売業界は、「教材ブーム」でした。

求人誌をめくれば、教材販売会社のテレアポのバイトの募集があふれていました。

平均時給は1200円くらいだったと思います。


「○○大学の学生なんですけど、家庭教師を頑張りたいと思ってまして云々」

こういう電話がかかって来た事があるという方も多いのではないでしょうか。

それが僕の生まれて始めての仕事でした。

当然、グレーな仕事だとは思っていました。

高校生やフリーターのアルバイトが、学生を装い、アポイントを取ります。

よくありがちな「無料体験学習」のアポイントです。

アポイントが取れた家庭に、「講師」を名乗る営業マンが行き、授業をします。

その中で、教材のセールスを行い、高額な教材をローンで購入させるという商売です。


ハッキリ言ってかなり悪どい商法で、摘発された会社も山のようにあります。

ですが、僕は楽しくて仕方がありませんでした。

良くない仕事だとは思っていたのですが、

自分で稼いだお金でご飯が食べれる事が本当に嬉しかった。

自分の父親とは違い、社員のみんなは必死に働いていました。

学校の友だちとは違い、バイト仲間も必死に働いていました。


高校の友達はみんな幸せそうに見えました。

両親がいる家庭も片親の家庭もありましたが、

みんな家族と仲が良く、

進路も割りと自由に考えている様でした。


僕は大学に進学という選択肢がありませんでした。

金銭的に無理でしたし、

奨学金は借金だという認識がありました。

当時、既に就職難という言葉を頻繁に耳にしていたので、

借金してまで大学行っても返せなかったら嫌だと思いました。


高校3年生の夏頃、

どんどんテレアポのバイトにのめり込む僕に上司が、

「就職後、ウチに来ないか」

と声をかけてくれました。


高校を卒業したら、家を出てちゃんと一人で生活をして行きたいと思っていた僕は、

卒業後、その会社に入社する事を決めました。


高校3年生の秋、

滋賀の支店への転勤がありました。

アルバイトで転勤というのも珍しいのかもしれませんが。

京都の本社ビルが改装工事の為、半年ほど業務が止まるという事でした。

僕は喜んで毎日滋賀県まで通いました。

毎日が充実していました。

学校へ行っても楽しくない、家にいても楽しくないという僕でしたが、

仕事だけは本当に楽しかった記憶があります。

決して仕事が出来た訳ではありませんが、

それでも自分で色々考えて毎日働きました。


ある日上司に、「埼玉の支店に転勤する事になった」と告げられました。

そして、「お前も来い」と言われました。

高校を出たら家を出たいと思っていた僕でしたが、

イキナリ他府県というのは少し戸惑いました。

でも、地元に何の愛着も持っていなかったので、

翌日には、「行きます」と答えていました。


そして、高校を卒業した日の夜に、僕は鞄一つで埼玉へ向かいました。

卒業後の打ち上げとか、そんな事に一切興味がありませんでした。

働いて、そのお金で生活をする。その事で頭がいっぱいでした。

2012年7月25日水曜日

生活保護から自立する為の第一歩

何らかの理由で生活保護を受給し出してしまうと、

そこから自立するのはとても困難です。

「最低賃金>生活保護」という話題も最近多いですが、

生活保護を受給しなければいけない状況に陥ってしまった人が、

いきなり生活の水準が上がる程の収入を得られる職に就くのはなかなか難しいと思います。

生活保護費は月々12~13万円程度ですが、

年金・医療費等の免除というのがやはり大きいと思います。

アルバイト等を見つけて、生活保護の受給を辞退した場合、

次の月から、生活保護受給中よりも、

生活水準が下がってしまう可能性があります。

まさに「貧困のループ」です。

ですが、やはり「働いて収入を得る」というのは大事だと僕は思います。

実際受給者の中には、「働けるなら働きたい」と思っている人も多いと思います。

しかし、このご時世、なかなか高収入の仕事というのも見つかりません。

なので、自立の第一歩として、

「収入を得ながら、最低生活費に足りない分だけ支給してもらう」

という考え方もアリなんじゃないかなぁと思います。


どういう事かと言うと、

生活保護の受給額というのは、国が定めた最低生活費を基準に計算されています。

地域によっても多少違いはあるのですが、

独身の場合、大体12~13万円が支給額となっている様です。

そして、生活保護を受給しながら、アルバイト等で収入がある場合、

最低生活費からアルバイトでの収入を引いた額が支給されます。

なので、月々の収入が最低生活費を越える様になるまで、

少しだけ生活保護に助けてもらうという事が可能です。


「じゃあ結局月々の収入は12万円じゃないか」

と言われてしまうかもしれませんが、

将来の可能性が全然違います。

生活保護受給者の生活水準が上がる事は100%有り得ません。

ですが、生活保護受給中にアルバイトを始め、

仕事を覚えて収入を得ながら、もっと賃金の良い職を探したり、

就職活動をしたりしていく中で、

可能性が広がるという事も少しはあるのではないかと思います。

ほんの少しの可能性かもしませんが。。



関連記事:生活保護受給中にアルバイトをする場合

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関連記事:ホームレスが奮い立たされた日本語ラップ

関連記事:「生活保護受給は恥」という感覚

関連記事:生活保護費より最低賃金が低いというのは昔からだった

関連記事:ホームレスから社会復帰する難しさ


生活保護受給マニュアル

最近チラホラと耳にする、

「生活保護受給マニュアル」

普通に書籍として販売されている様です。

ネットで検索しても、チラホラ出てきますね。。























絶対にあきらめない生活保護受給マニュアル(amazonリンク)

福祉事務所の生活保護担当をしていた方が書いた本の様です。

発売日は2008/7/31






















野たれ死にするくらいならどんどん生活保護(amazonリンク)

マンガの様です。

この本も、生活保護担当だった方が原作を担当している様です。

発売日は2009/12























生活保護獲得ガイド(amazonリンク)

この本は、元NHK職員だった人が書いた本の様です。

発売日は2007/7


この三冊はネットで検索してパッと出てきたのですが、

発売されたのは少し前の様ですね。

丁度派遣切り問題が騒がれ出したくらいでしょうか。

少し読んでみたいような気もします。

こういう本が発売されるのも、

貧困化が進む中で、

セーフティネットについて詳しく知らない人が多いからかもしれないですね。

みんながみんな生活保護の知識を持ってしまったら、

申請に来る人が殺到してしまうという事も有り得ますけれども。


また、こんな記事も見つけました。

不正受給横行の裏にあった「生活保護受給マニュアル」(女性自身・2012/5/30配信)

>このマニュアルをもとに
>シノギ(商売)をおこなっているグループのリーダー・金本公博氏(仮名・32)は、
>もともと広域暴力団がバックに控えるヤミ金および振り込め詐欺グループの一員だった。
>だが2年ほど前から、受給者から搾取する「生活保護ビジネス」に手を染めるようになったという。

>裏マニュアルを見ると、生活保護の申請から受給までの流れ、注意点、
>重要ポイントがじつに細かく生々しく記されている。
>たとえば住居の問題。申請をするとケースワーカーが自宅を訪ね、
>生活実態の調査をおこなうのだが
>「部屋をゴミ屋敷化すること」
>「職員の訪問予定日前に生ゴミを放置しておき、異臭を漂わせておく」
>などといった対策が記されている。

>金本氏のグループでは「受給しやすい部屋の提供」までおこなっているという。
>ボロいアパートを一棟丸ごと借り上げて、1人1部屋。
>上限額の範囲内であれば家賃も全額出るため、取りっぱぐれもないのだ。

>さらに生活保護受給希望の”客”に対しては申請までの期間、
>セミナーと称する「特訓」もおこなっているという。
>「事前にうちの若いのが福祉課窓口の担当役になって
>”想定問答”を繰り返し徹底的にやるんですよ。これがいちばん大変」(金本氏)

>裏マニュアルの結びにはこうあった。

>『(金本グループの)担当者の指示をよく守って自らの生活を防衛しましょう』


これは完全にヤクザがシノギでやってる例ですね。。

この記事でのポイントは、

「部屋をゴミ屋敷にする」でも無ければ、

「受給しやすい部屋の提供をしている」という部分でも無く、

「想定問答を繰り返し徹底的にやる」

という部分。

これが一番効果的だと思います。

僕も何度かブログ等に書いているのですが、

生活保護の申請時の審査というのは、

基本的には性善説に立って行われています。

そこが一番問題視されている部分でもあるのですが・・

申請時に、福祉窓口の担当が聞き取りを行う項目というのは決まっています。

そして、審査の大部分が自己申告に頼っている為、

そこをくぐり抜けたら誰でも受給出来る様な状態になっています。

要するに、頭の中に完全な台本があれば、誰でも受給出来てしまうのです。

極端な話、

僕が生活保護の申請までに至ったストーリーと、

同じストーリーを窓口で話せば、受給出来てしまうのです。

これが生活保護の一番の問題部分だと僕は思っています。



関連記事:生活保護申請時の審査の甘さ

関連記事:「週刊ダイヤモンド」の生活保護特集を読んだ感想

関連記事:生活保護の申請をしました


2012年7月22日日曜日

「働けるのに働かない人」とは

生活保護の話になって来ると必ず、

「働けるのに働かない人」

という言葉が出てきます。

働けるのに働かない。

分かりやすい様で分かりにくい言葉だと思います。


例えば僕の場合。
  • 20代半ば
  • 高校卒業後、サラリーマン→自営→サラリーマンと働き続けている。
  • 持病無し
  • 精神疾患無し(多分)
  • 両親はいるが、連絡先等不明。関わりが一切ない。
  • ホームレスになってからも日雇い労働をしており、収入はあった(月10万円くらい)。
  • ホームレスになった経緯に事件性がある可能性がある。
  • 仕事は出来るし、就職もしたいが、家もスーツも何も無い状況。
ホームレスになった経緯は、ホームレスになった経緯とその後の経過に少し書いてあります。

僕と役所の担当の人としては、
  • 年齢がまだ若い
  • 職歴がある
  • 就職する意思がある
  • 家があり、生活が安定すれば、就職活動が始められる
という考えでした。

でも実際、家があった所ですぐに就職活動を始めるのは無理でした。

普段着る服すら無く、スーツを買ったり、生活に必要なものを揃える余裕もありませんでした。

生活保護を受給してからも日雇い労働をしていたので、

毎月給与明細を提出し、

生活保護支給額と、日雇い労働での収入との差額を、支給してもらうという形でした。

日雇い労働の収入+保護費で月収が12万円という状態でした。

その中から、家賃・光熱費・通信費等を払い、

残ったお金で生活に必要な物を買い揃えていかなければならないという状況でした。


当然、とてもしんどい毎日でしたが、

世間の人から見たら「働けるのに働いていない人」になる可能性もあると思います。

実際、日雇い労働ではありますが、働いていたので。

僕には僕なりの言い訳は勿論あるのですが、

「働けるのに生活保護を受給してる」

と言われてもしょうがないのかな、と思いながら毎日過ごしていました。

未だに、生活保護を申請するべきでは無かったのかなと思う時があります。










2012年7月21日土曜日

生活保護関連の報道に対する違和感

生活保護のついての報道を見る度になんだかヤキモキします。

「生活保護をもらって遊んで暮らしている」

みたいな話をよく見ますが、そんなの絶対無理です。

生活保護費だけで生活しようとしたら、本当にただ生きているだけの生活になります。


生活保護の不正受給は簡単? マスコミにダマされてはいけない(msnマネー 2012.7.18配信)

>建築作業員のBさん(47)は事故で、首の骨に重い障害が残り働けないので、
>生活保護をもらって生活をしている。
>6月の受給額は、生活扶助8万1610円、住宅扶助4万8000円、計12万9610円。
>治療費を含めて医療関係の費用はすべてタダだが、生活は決してラクではないという。
>「不正受給が注目されてから、
>テレビや週刊誌で毎月18万円もらって遊んで暮らしているみたいな話ばかりがでている。
>役所で聞いたら、『寝たきりか、重い障害がなければ18万円は支給できない』
>と資料を出して説明してくれた。
>担当者も『どうしてこんな話がでてくるのか……』と首を傾げていた」(Bさん)


「生活保護をもらって遊んで暮らしている」

「生活保護受給者はワガママだ」

「生活保護をもらっているヤツは怠け者だ」

確かにそういう人もいると思います。

ですが、そういった一部だけを取り上げて、

生活保護受給者のイメージを作り上げるというのは、

嫌な気持ちになります。


>10年前に池袋の喫茶店なんかでよく耳にしたヤクザやら詐欺師のエピソードが、
>「不正受給」とごちゃまぜにされている。
>自戒もこめて言うと、マスコミは「生活保護」というお題で話をかき集めて、
>その中で「強めのネタ」から記事にするからだ。

>先日、北海道釧路市が、
>2007年から2011年に生活保護を受給していた57人が覚醒剤取締法違反で逮捕され、
>支給停止になっていたことを明らかにした。

>保護費の一部は覚醒剤購入に充てられたとみられる、とマスコミは大きく報じたが、
>ここでダマされてはいけないのは、これはあくまで特殊な受給者の「使い道」の問題で、
>巷でいわれる「不正受給」とはちょっと次元が違う。

>犯罪者と、「もらえるモノはもらっておこう」というナメた一般人を、
>きっちりと分けて考える――これがこの問題のキモではないか。


本当にその通りだと思う。

この事件は、

「生活保護受給者」が「生活保護費を違法なモノに使った」という内容であって、

「不正受給事件」ではない。

「不正受給」というのは「もらえるモノはもらっておこう」という人。

そして、「本当に困っている人」もいる。

この辺りをごちゃ混ぜに報道した結果、

生活保護バッシングが盛り上がっているのかもしれないですね。



関連記事:生活保護申請時の審査の甘さ


関連記事:生活保護で贅沢出来るのは不正受給者だけ


関連記事:僕が見た不正受給の手口


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2012年7月20日金曜日

格差社会とフードスタンプとEMINEM

最近、生活保護に関する議論の中で、

「フードスタンプ制を導入するべきだ」

という話をよく耳にします。


フードスタンプ(Food Stamp)とは(Wikipediaより抜粋)

>アメリカ合衆国で低所得者向けに行われている食料費補助対策。公的扶助の一つ。
>形態は、通貨と同様に使用できるバウチャー、金券の一種。
>一般のスーパーマーケットでも使用できる。対象は食料品であり、
>タバコやビールなどの嗜好品は対象外となる。
>このため、嗜好品を購入しようとする者が、
>フードスタンプを売買する例が報告されており問題視されている。
>換金、売買などの詐欺が横行し、問題になっている。

フードスタンプと聞くと、僕はこの曲を思い出します。


映画「8mile」の主題歌、EMINEMの「Lose Yourself」という曲です。

この曲の中に、

俺には9時から5時の仕事はできないし/家族に穏やかな暮らしなんてさせてやれない 
フードスタンプじゃオムツも買えなんだぜ

というフレーズがあります。

初めて聴いた時は、僕はまだ高校生だったので、

何となくでしか理解出来なかったのですが、

今ではゾッとするくらいリアルに感じます。

日本もアメリカの様な超格差社会に突入して行くのかと思うと、

物凄く怖くなります。

エミネムもそうですが、

「極貧の環境で産まれ育った」というのは本人の責任ではありません。

貧しい家庭・親がいない・親がオカシイ等々、色々な話を普段聞きますが、

それは子供のせいではありません。

そして昔は、そういった少し特殊な環境で育った人でも、

仕事が出来ました。働く場所があったのです。

でも今は少なくなって来ています。

昨日のエントリ(生活保護費より最低賃金が低いというのは昔からだった)でも少し触れたのですが、

今まで、割と良い待遇で働いていた層の人達が、

最低賃金での労働や、低賃金での労働に流れ込んでいます。

身元保証人がいない人や、大学を出ていない人達が働く職場というと、

まず工場や物流や土木関係の仕事をイメージする人が多いかと思いますが、

そういったいわゆる「ブルーカラー職」のアルバイトにまで、大学卒の人が流れ込んでいる状況です。

そうなって来ると、

少しワケ有りな人が仕事に就ける機会というのが減ってきます。


こんなご時世ですから、

企業も「どうせ雇うのであれば少しでも不安材料が少ない人の方が良い」

と考えるのではないでしょうか。


「俺には9時から5時の仕事は出来ない」

この歌詞が物凄くリアルに感じてきます。。


関連記事:ホームレスが奮い立たされた日本語ラップ

2012年7月19日木曜日

生活保護費より最低賃金が低いというのは昔からだった

昨夜色々とネットを見ていたら、面白い記事を見つけました。


「生活保護が浮いて見えるのは、世の中が地盤沈下したせい」派遣村"村長"の湯浅誠氏がナマポ・バッシングを斬る(2012年7月17日配信)


>生活保護費よりも最低賃金が低いというのは、実は前からそうなんですよ。
>日本の最低賃金はもっと低かったですから。これまで随分、上がった方ですね。
>ただ、これまでは問題にならなかったんですよ。
>というのは、最低賃金で働いてる人が、さほど多くなかったからです。
>ただ、地方に行けば結構いたんですが、それは主婦パートの賃金だったんですね。
>ちゃんと夫にきちんと収入があって、
>お小遣い賃金ということで「賃金が低くても問題ない」と思われていたんです。
>「最低賃金が低い」という事実に、社会の関心が向いたことが実は、あんまりなかったんです。

>ところが、最低賃金で働く人が次第に増えていったわけですよ。
>今は東北とか地方に行くと、ハローワークで正社員ということで紹介されていっても、
>実際には最低賃金でフルタイムで働くことになる。
>いわゆる正社員と呼ばれる人でも、
>最低賃金にへばりついて生活する人たちが出てきたんです。
>「俺らがこの暮らしなのに何だ!」ということで、
>最低賃金と生活保護費の比較が切実な意味を持つようになってきたんですね。
>この図式自体は前からあったけど、
>生活がかかっている人が少なかったから問題にならなかったんです。


ちょっと前まで、最低賃金で働く層というのは、主婦パートか学生が多く占めていました。

ここ何年かで雇用が不安定になって来て、

本来なら最低賃金で働いていなかった層が最低賃金で働かなければならなくなっています。

僕もホームレスになって、日雇い労働で色んな現場に行ったけど、

主婦パートに混ざって、元気な30代くらいの男性のパート従業員をよく見ました。












上の図は、東京都の最低賃金の推移を表したグラフです。(参照リンク:年収ラボ

確かにずっと上がり続けてますね。

ずっと上がってはいるのですが、

最低賃金で働く人が増加しているというのがポイントだと思います。

今まで、最低賃金で働いている人というのは、

「旦那さんの稼ぎがある主婦」

「実家暮らしの学生やフリーター」という人達がメインだった為、

「生活保護以下の最低賃金なんかで働いてられるか!」なんて意見も出なかったのが、

「本来ならばもっと良い給料をもらっていた人達」が、

最低賃金での労働にどんどん流れ込んでしまっているんですね。

なので「逆転現象」なんて言い方をする人が出てきたと。

でも、逆転なんてずっと昔からしてたんですね。


現在、最低賃金での労働に生活がかかっている人が増加しているので、

やはり生活保護費よりも最低賃金を上げて行く様にしないと、

どんどん状況が悪くなって行く人が増えそうですね・・・


関連リンク:「生活保護受給は恥」という感覚

関連リンク:生活保護申請時の審査の甘さ

関連リンク:生活保護で贅沢出来るのは不正受給者だけ

関連リンク:生活保護を貰い出したからパチンコにハマる訳ではない


2012年7月18日水曜日

ホームレスがいる場所

最近、ホームレスと言うと、すっかりネカフェ難民をイメージする事が多くなったと思います。


ネカフェ難民という言葉自体は割りと最近出来た言葉ですが、

日雇いで稼いで、安宿に泊まるという流れ自体は、

西成等のドヤ街で生活している日雇い労働者と何ら変わらないと思います。

じゃあホームレスは今はネカフェに固まっているのかと言えば、そうではありません。

実に色々な場所に生息しています。

僕もネカフェ代が勿体無くて色んな所で寝てました。

意外と快適に(?)泊まれる場所も多く見つけれました。

ホームレスがどういう所で生息しているのか少し纏めてみようと思います。


①ネカフェ


ネカフェ以外にも、サウナや試写室が多いと思われます。

ネカフェ・サウナ・試写室だと、一泊大体2000円前後くらいです。

日雇い労働等で毎日収入があれば、こういった所を転々とするのは無理ではありませんが、

お金が手元に残る事なんてまず無いと思われます。

僕も一週間に数度、ネカフェ等で泊まっていたのですが、

疲れは全く取れなかったです。

ちゃんと寝るならサウナの仮眠室の方が数倍良かったですね。


②公園・河原

「ホームレスといえば公園か河原」というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

実際僕も色々な公園を転々としていましたが、結構な人数を見ました。

ですが、以前僕もブログに書いた様に、

公園のホームレス対策は結構進んでいます。(関連記事:公園のホームレス対策

ベンチには、寝られないように仕切りが付いていたりするので、

そこで無理やり寝ている人も何人か見ましたが、

中には、シーソーの上で寝ている人もいました。

流石にちょっとビックリ。

ですが、公園の中でも一番ホームレスが過ごしやすい場所があります。

障害者用トイレです。


古い公園には無い事が多いのですが、

最近出来た、又は最近整備された様な綺麗な公園には、

障害者用トイレがある事が多いです。

あまり大きな声では言えませんが、僕も何回か寝た事があります・・・

快適に寝れる訳ではありませんが、

雨に濡れる事も、寝ている間に物を盗まれる事も無いので、安心かもしれませんね。

ちゃんと清掃されているトイレも多いですし。


③図書館

これも定番の様な気がします。昼間限定ですが。

家が無く、仕事も無いと、予想以上に暇です。

する事も、居る場所も無いというのはしんどいです。

ネカフェはお金がかかりますし、ずっと公園にいるのもしんどいです。

僕がホームレスになったのは夏になるちょっと前からだったので、

日雇いの仕事が無い日は地獄でした。

公園にいても暑い、ネカフェに行くお金も無い。

BOOK OFFにも行きましたが、ずっと立ち読みしているのもしんどいです。

マクドナルドに入って100円のコーヒーで粘るくらいしかありませんでした。

そんな時、図書館はすごく助かりました。

空調も効いていて、座って本が読める。ウォータークーラが設置されていたので、水も飲めました。

なので、ホームレスの人がいっぱいいます。

確かに図書館は快適ですが、本来ホームレスの為の場所では無いので、

利用していた僕が言うのもアレですが、何か対策は無いのかなぁと思います。

家が無い人の為の過ごしやすい場所はあっても良いとは思うのですが、

図書館は元々そういった為の場所ではないですし。

一般の利用者の方も少し迷惑そうにしていました。


④アパートに不法侵入

意外と多いです。

最新のオートロック・防犯カメラ付きマンションではなかなか難しいですが。

見るからに古びた、住人が少なそうなアパート・マンションの、

屋上付近の踊り場とか。

こういう場所も、捕まりさえしなければ、ホームレスにとって凄く安全なんだと思います。

雨風は凌ぎやすいですし、襲われる事も少なそうですし。

僕も何度か、自分が以前住んでいたマンション(いきなり追い出されたマンションです)の、

屋上で寝た事があります。

僕の場合は、納得の行かない理由で追い出されたので、

結構ヤケクソ気味に寝ていたのですが、

全く関係の無いマンション・アパートに不法侵入して、寝泊まりしている人も多い様です。


⑤車中泊

これはありそうであまり無いです。

車持ってるホームレスって、ホームレスの中でも勝ち組だと思います。

普通、ホームレスになる前に売りますし。

車があれば、恐らくネカフェなんかよりよっぽど快適にホームレスが出来ると思います。

ガソリン代が保てればの話ですが・・・

僕が話した事あるホームレスの人の中にも、

車中泊をしている人というのはいませんでした。


数を挙げればキリが無いですが、多いのは多分こんな所だと思います。

もっと何か面白いというか、意外な場所で寝泊まりしている人もいそうですが。



公園のトイレとか、アパートに不法侵入とか、

下手したら捕まっちゃいますので、

家が無くなったらおとなしく役所に行くのが一番良いと思います。。


関連記事:公園のホームレス対策

関連記事:「ネカフェ難民」からの抜け出し方

関連記事:日雇い派遣から抜け出せるかどうかは自分次第

2012年7月17日火曜日

ホームレスが奮い立たされた日本語ラップ

日本にももうすぐHIP HOPが根付くと思う。

少し前まで

「日本にゲットーなんて無い」

とか

「日本に外国のギャングみたいな悪い人はいないよ」

とか言われてたけど・・・

貧困とか治安の悪さというのは、比べるものじゃない。

生活が大変な地域・生活が大変な家庭で産まれ育って、

頑張って頑張って這い上がってきた人達の音楽があるというのは、

重要な事だと思う。

そういう音楽に救われる人が、きっとこれから増えると思います。

上の世代の人達からしたら、理解されにくいかもしれないけども・・・

僕は元々、長渕剛さんの音楽とかHIP HOPが大好きで、

ホームレスになった時、幸いにもiPodがポケットに入ったまんまだったので、

公園やネットカフェでずっとHIP HOPを聴いていた。

HIP HOPが無かったら、野垂れ死んでいたかもしれない。

僕がホームレス時代に毎日聴いていたHIP HOPを少し紹介しようと思います。


・ANARCHY
京都出身・在住のラッパー。

京都市伏見区という地域に「向島団地」という団地があります。

京都というのは色々と複雑な地域が数多くありまして、

元々、京都の他の地域に散らばっていた、

在日外国人や、低所得者層や、部落出身の人々等を、

移住させる目的で作られた団地です。

当然治安は最悪で、交番の出動回数は京都一という時期もあったそうです。

「てるくはのる事件」の犯人が飛び降りた団地としても有名です。

今では多少治安は良くなりましたが、

ANARCHYさんは、昭和56年生まれで、僕より4歳年上。

恐らく、向島団地が荒れに荒れていた時代に、青春を過ごしている方だと思われます。


見た目は少し怖いですが、とても良い歌詞。

「夢掴め働いて」という言葉に、

サラリーマン時代から今に至るまで、何度も何度も助けられています。


ANARCHYさんのラップからは、底辺で産まれ育った人の、

「もがき」がかなり強烈に感じられます。

もがき方すら分からない、どうやったら良い生活が出来るのか分からない、

それでも上を見て、もがき続ける。

そういった苦しみが強烈に表現されていると思います。



・SHINGO★西成
その名の通り、大阪の西成区出身のラッパー。

SHINGO★西成さんは、西成区で生まれ育ち、大学卒業後、福祉関係の仕事をされていた様で、

やはり、見て来たものが普通の人とは違うのだろうなと思います。


↑の「ILL西成BLUES」という曲のPVは、西成区で撮影されています。

西成区の職業安定所の内部やその周辺、三角公園の様子も映っています。

やはり、言葉の重みが違います。

「観光気分ならば来んでええ アンポンタン お目々開いて耳かっぽじって

肌で感じて黙ってくれればそれでええ」

この場所で実際に産まれ育った人じゃないと出てこない言葉。

最近ネットでもよく西成の事が取り上げられる様になり、

まさに観光気分で西成へ行ってカメラを回したり茶化したりしている様な人も増えている様です。

ニコニコ生放送で、飛田新地を隠し撮りする様なユーザーもいる様です。

そういったモノを見る度、僕は何だかとても嫌な気持ちになります。


大阪という土地柄のせいか、SHINGO★西成さんのラップには明るさが漂っている様に感じます。

聞き取りやすいラップに、強烈なメッセージ。

現実を伝えるだけではなく、とても励まされます。

「頑張っても良い事なんて無い」というのを誰よりも分かっている方だと思うのですが、

それでも「諦めるな、頑張れ」というメッセージを色んな曲で発しておられます。

こういう人がもっともっと有名になって欲しいなと思います。

きっと、勇気づけられる人も多いはず。

もうすぐ、新しいアルバムが発売されます。

僕も勿論予約しました。

今から楽しみで仕方ないです。



・般若
東京の世田谷区出身のラッパー。

僕が一番好きなラッパーです。

ホームレス中、般若さんの曲は毎日欠かさずに聴いていました。

般若さんは、長渕剛さんに影響を受けているラッパーで、

長渕剛さんの桜島ライブにも出演されています。

ラップの隅々から、90年代の長渕剛さんに似た雰囲気を感じる事もあります。

少し、暑苦しい部分もあるかと思いますが、

純粋に、男としてカッコイイと思います。

こういう、まさに「日本男児」という方がもっともっと有名になって、

もっともっと良い影響を与えてくれたらと思っています。

「一人で闘う男」と紹介される事も多い様ですが、

本当にその通りだと思います。

仲良しこよしではなく、一人で全て背負って生きている人なんだと思います。

ラップの端々からそういった部分が見えてくる様に思います。







他にも、ホームレス中によく聴いていたHIP HOPはあるのですが、

特によく聴いていたHIP HOPミュージシャンを紹介させて頂きました。

あまり上手く紹介出来なかったかもしれませんが・・・

日本のHIP HOPをよく聴く人にはとても有名な方たちですが、

HIP HOPにあまり興味の無い人にはまだまだ知られていないのではと思います。

他にも良いラッパーは日本にもいっぱいいるので、

またブログに書いてみようと思います。

僕のブログを読んでいる方の中に、少しでもHIP HOPに励まされる方がいればと思います。

HIP HOPというと、ネット上では若干茶化した様な取り上げられ方をされる事が多く、

その度に僕は、何だか少し悔しくなります。

でも、そういった事もこれからどんどん減って行くと思います。

他のジャンルの音楽では表現されない、リアルさ。

派手なアイドル、高価な楽器を持ったバンド。

そういった音楽には全然心が動かないという人も多いと思います。

もしかしたらHIP HOPなら、苦しい毎日を送っている人達を変えられるかもしれない。

HIP HOPを聴いた若い世代の人達が、

「もっと頑張ろう」

「もっと出来る事をやって生活を良くしよう」

「今はしんどいけど必死に頑張って夢を叶えよう」

そんな考え方に代わるかもしれない。

HIP HOPにはそれだけの力があると僕は思っています。


あまり上手く紹介出来ませんでしたが、

少しでもHIP HOPに興味を持つ人が増えたらと思っています。

去年は僕はホームレス中で、ライブとかにも全然行けなかったのですが、

今年は行けたら良いなぁと思います。

2012年7月15日日曜日

「生活保護受給は恥」という感覚

最近、生活保護について、ネット上でも実社会でも、

以前より多く語られる様になったと思います。

ほんの数年前まで、「生活保護」という言葉が日常会話に出る事なんて無かったのですが。

セーフティネットについて詳しく知らない人達が多い状況の中で、

語られる機会が増えたのは良いと思うのですが、

それだけみんな働いていても先が見えないという状況になっているという事でもあると思うので、

良い事なのか悪い事なのか分からなくなってきます・・


生活保護受給は「恥ずかしい?」に「Yes」が46.3%(週プレニュース)
(2012年6月19日)


>合計1000人を対象に生活保護に関するアンケート調査を行なったところ、
>「生活保護を受けることを『恥ずかしいことだ』と思いますか?」という質問に、
>46.3%が「はい」と回答。約半数の人が恥ずかしいと思っていることが分かった。

>思っていたよりも高い数値ではあるが、
>この背景には、河本氏のイメージが大きく左右しているのかもしれない。
>というのも、「子供は親の生活の面倒を見なければならないと思いますか?」という問いには、
>64.3%の人が「はい」と回答しており、
>子供が親を扶養するのは当然だという意識がかなり浸透しているからだ。
>だが、根本的な制度の問題になると、多くの人々が厳しい目を向ける。
>「生活保護の審査について、あなたの印象は?」という質問には、
>72.1%もの人が「甘すぎる」と回答。
>消費社会研究家で、カルチャースタディーズ研究所代表の三浦展氏もこう語る。

>「もはや、政府の税金の使い方に国民はあきれ果てているんです。
>本来、官僚が税金をフェアに分配していれば問題はないけれども、
>どうもこの10年、20年を見るとブラックボックス化している。
>だから、生活保護費も支給した成果が見えるようになる仕組みをつくらないとダメです」

>一方でこういう意見もある。貧困問題に取り組む作家の雨宮処凛氏だ。

>「今は、河本さんの件で生活保護制度自体に批判が高まっているようですが、
>生活保護は捕捉率(受給資格を満たしている人のなかで、受給が行き届いている率)
>が約2割程度しかなく、先進国でも日本は最低ランクです。
>つまり、受けられはずの人が受けられないというのが現実です」

>制度ではなく、仕組みに問題があるとする雨宮氏。
>現在、日本における生活保護受給者は約210万人。今後も増加するといわれているが、
>そのときに今の制度や仕組みが維持できているとも思えない。

>「『働かずに税金をもらって生活をしている』という批判がありますが、
>果たして、そんな生活に満足できる人がどれだけいるのでしょうか。
>私はほとんどいないと思います」(前出・雨宮氏)

>結局のところ生活保護は、
>脱することを前提とした“一時的”な保護制度だという認識を深めて行くしかない。


僕は正直な所、生活保護受給が恥ずかしいという気持ちは、

あった方が良いと思います。


ですが、それは受給している側が持つべき意識であって、

それを世間が押し付けるのは、違うと思います。

別に、「恥」という感覚でなくても良いのですが、

「今の自分はあまり良くない状況だから早く抜けだそう」

という気持ちが無ければ、ずっとズルズル行ってしまいます。


実際、病気や怪我や、何か事情があって働けなくなってしまった。

便りになる身内もいないので、生活保護を受ける。

これは当然です。

生活保護を受けずに死んでしまうより、よっぽどマシです。


ですが、生活保護受給中の生活がよくなる事は、

100%有り得ません。

上の記事にも書いてありますが、


>「『働かずに税金をもらって生活をしている』という批判がありますが、
>果たして、そんな生活に満足できる人がどれだけいるのでしょうか。
>私はほとんどいないと思います」(前出・雨宮氏)


これは僕も同意見です。

毎月、生活に最低限必要なお金を支給され、

最低限必要な物にそのお金を使います。

本当に「生きているだけ」という状況。「死ぬよりはマシ」という状況。

生活が出来なくなるという事が無い代わりに、

生活が良くなるという事もありません。


>結局のところ生活保護は、
>脱することを前提とした“一時的”な保護制度だという認識を深めて行くしかない。

勿論、どうしても働けないという状況の人は別ですが、

何らかの事情があり、生活保護を受給していて、そのうち働ける様になった。という人は、

やはり抜け出す為の努力はするべきです。


その為にはやはり、

「生活保護受給は恥ずかしい」

「今の自分の生活は底辺だ」

という気持ちがある程度あった方が良いのじゃないかなぁと思ったりします。


失敗しても、レールから外れても死なない様に、

セーフティネットというものがあります。

ですが、「死なない」のと「満足な生活を送る」というのは、

全然違うと思います。


生活保護受給者に対して、

「税金で良い暮らししやがって」

みたいな意見をよく耳にしますが、

月々最低限の生活費だけ支給されて、

毎日朝から晩までゴロゴロする。

そんな生活が「満足な生活」と呼べるのでしょうか。

生活保護を受給しながら贅沢な暮らしが出来るのは、

他に収入源等がある、不正受給者のみです。

やはり、「一時凌ぎの為の制度」という認識は大事だと思います。


関連記事:生活保護で贅沢出来るのは不正受給者だけ

関連記事:ホームレスから社会復帰する難しさ


ホームレスから社会復帰する難しさ

何かの理由で一回ホームレスになってしまうと、社会復帰は想像以上に困難。


僕自身、ハッキリ言って甘く見過ぎてました・・・

ちょっとしんどいだろうけど余裕だろう。と思っていました。

ホームレスになんて絶対なっちゃいけない。

ホームレスから社会復帰するのが困難な理由として、一番しんどいのは、やはりお金の面です


一度ホームレスになってしまうと、何もかも持っていない状態になります。

服も、日用品も、何もかもを揃え直さなければなりません。

何とか生活保護が受給出来たとして、

部屋の入居費用は生活保護の方で出してもらえます。

その後、家具購入費用として、20000円前後が支給されます。

生きる為に最低限必要な、布団・冷蔵庫等を買う為のお金です。

その後、毎月12~13万円程、生活保護費が支給されるのですが、

家賃・光熱費等を払った残りのお金で、

洋服や、必要な物を買い揃えなければなりません。

TVなんてとてもじゃないけど買えません。(未だにTV持ってないです(´Д`))

僕は、まず普段着る洋服が欲しかったです。

ホームレス時代、Tシャツ2枚・ズボン1本・靴下2着・パンツ2枚しかありませんでした。

なので毎日洗濯します。

簡易宿泊所は洗濯機の利用は無料だったので、毎日洗濯出来ましたが、

アパートを借りてからは、コインランドリーを使用しなければならなくなりました。

洗濯・乾燥で1回400円。

流石に勿体ないと思い、ユニクロ等で何着か買い足しました。


生活保護費が12万円。家賃・光熱費・携帯代・食費を引くと、

手元に残るのは大体2万円あるかないかくらいです。

その中から、生活に必要な物を少しずつ買い足して行きます。

就職活動の為PCを買いたくて、一日一食でしばらく過ごしてました。

スーツを買うなんて何ヶ月かかるんだろう・・・と思っていました。

タオル1枚買うのにも躊躇していました。


その中で、仕事を探すのはとても困難です。

正社員ではなく、アルバイトですら困難でした。

ホームレスの多くは、身元保証人がいません。

なので、身元保証人が必要なアルバイトはまず無理です。

誤魔化せば可能かもしれませんが・・・

身元保証人が不要で、なおかつ、生活費が稼げるアルバイトとなると、

限られて来ます。

生活が安定していない状態で、

いくつもいくつも面接を受け続けなければなりません。

結局、「派遣労働が手っ取り早い」という状況になってしまいます・・・


そういう状況の中、

「じゃあもう生活保護で良いや。贅沢は出来ないけど死ぬ事は無いし」

と思ってしまう人も多いかもしれません。


年齢的・肉体的に、元気に働ける人の場合、

派遣でも何でも、働いていた方が、生活保護よりは生活が良くなるチャンスがあるのですが、

疲れて諦めてしまう人も多いのかなぁと思います。





2012年7月12日木曜日

簡易宿泊所での生活

簡易宿泊所での生活。


「簡易宿泊所 ホームレス」とか「簡易宿泊所 入所」等のキーワードで、

当ブログにたどり着いている人も多い様なので、

僕が入所していた簡易宿泊所での生活について少し書きます。

※入所する宿泊施設によって、環境は全然違ったりするみたいです。


僕が入所していた簡易宿泊所は、民間が運営しているホテルの数フロアを、

役所が借り上げているというスタイルでした。


部屋は10畳程。

一部屋につき、2人~4人程で生活します。

各部屋には、TV・エアコン・ユニットバスが付いています。PCは流石に無かったです。

喫煙に関しては、喫煙所を利用する様に言われました。

また、ホテルの洗濯機・乾燥機を自由に使えました。

食事は三食全てお弁当でした。勿論無料です。

民間の、お弁当の宅配サービスを使っている様でした。

部屋の清掃もホテルの人がやってくれました。

入所期間は基本的には一週間ですが、

役所に行って、延長の手続きを取れば、もう一週間延長出来るという仕組みでした。

中には半年近くダラダラ入所している人もいました。


門限も無く、起床時間も無く、誰かが見まわりに来るという事も無いので、

ちょっとした無法地帯になっていました。

酒盛り、不正受給についての情報交換、薬物売買についての情報交換、

「シノギ」についての情報交換・・・

そういった話に無縁の入所者達は、

一日中TVを見ているか、ゴロゴロして過ごすか、日雇い労働に行っていました。

若い、女性のホームレスの入所者もいたので、

当然、ナンパをしているチンピラも多かったです。

お酒を奢ったり、大麻や薬物をチラつかせたりして、

女の子と仲良くなろうとする人も多かったです。


生活保護を不正受給する目的で宿泊所に入所して、

一週間の半分以上は友人宅等で寝泊まりしている人も多い様でした。

宿泊所に入所している事実さえあれば生活保護の申請は簡単に出来るからです。


賃貸の仲介業者さんに聞いた話ですが、

僕の入っていた宿泊所はかなり過ごしやすい部類に入る様です。

アル中や、精神疾患がある人の場合、

もっと環境の悪い宿泊所に入所させられる事もある様です。

確かに、僕がいた宿泊所では、

夜中に奇声を上げる人や、日常会話が困難な人というのは、

全入所者の1割程度だったんじゃないかと思います。

もっとも、民間のホテルを借り上げているという形態だったので、

ホテル側に迷惑がかからない様にという配慮かもしれませんが。


そんな環境でも、不思議と喧嘩は少なかったです。

妙な仲間意識みたいなのがある様でした。

チンピラも、僕みたいな元サラリーマンも、博打狂いも、前科持ちも、無気力な人も、

何故か仲良くやっていました。

雰囲気は、観光地によくある「ゲストハウス」に近いのかもしれません。

もうあんな所には二度と戻りたくは無いと思っているのですが、

嫌な思い出というのも特に無かったりはします。


ただ、正直、環境が良すぎる気はしました。

全て税金で賄っているのだろうと考え出すと、とても申し訳ない気持ちになったのを覚えています。

これだけ環境が良かったら、

出て行こうとせず、半年近く居座る人がいるのも当然だと思います・・・


関連記事:「一時宿泊所はチンピラだらけ」

関連記事:「僕が見た不正受給の手口」

関連記事:「僕が見た若年女性ホームレス」

関連記事:「僕が見た老夫婦ホームレス」

2012年7月11日水曜日

障害のあるホームレス②

以前、僕もブログに書いたのですが障害のあるホームレス

障害を持つホームレスはとても多いです。


障害者を路上生活から救え!(YAHOO!JAPANニュース) 

(7/11(水)11時2分配信)


↑のニュースにも載っているのですが、

軽度の知的障害・精神疾患を患っているホームレスは多いです。

それが先天的なものか後天的なものかは分かりませんが。


>一人ひとりに声をかけながら、
>地元でホームレス支援を続けるNPO法人「TENOHASI(てのはし)」のメンバーが、
>おにぎりやパンを配る。その中のAさん(41)は数年前、路上でおにぎりをもらう立場だった。
>「助けられたので、恩返しがしたい」と、活動に参加している。

>Aさんには軽い知的障害がある。
>それが分かったのは、支援を受けて路上生活をやめた2010年のことだ。
>高校を卒業後、工場などで働いてきたが、人間関係を保つのが苦手。
>仕事は長続きせず、最後は路上へ。

>「仕事を探しても断られる。どうすればいいのか」


同じように、軽い障害・精神疾患があっても、

「気付いていない」人も多いと思います。

教えてくれる人もいないのだと思います。


>「てのはし」代表で精神科医の森川すいめいさん(38)らが、
>炊き出しに集まったホームレスの男性約170人に面談し、精神疾患の有無などを調べた。
>その結果、34%に知的障害の疑いがあることがわかった。
>うつ病(15%)、統合失調症などの精神病(10%)の割合も高かった。

>森川さんは、
>「障害が軽く、なんとかがんばってきた人が、雇用の悪化で路上生活に陥っている」とみる。
>コミュニケーション能力が低く、職場でのいじめに遭いやすいほか、
>生活保護を受けて宿泊所に入っても、集団生活が苦手で路上に戻る人もいる。
>行政の窓口で自分の置かれた状況をうまく説明できない人も多い。

>障害のあるホームレスの支援は全国的な課題だ。
>NPO法人「ホームレス支援全国ネットワーク」の調査でも、
>約4000人の元ホームレスのうち、疑いがある人も含め、15%に精神障害、
>10%に知的障害があった。


「働けないほどじゃない」「会話が出来ない程じゃない」程度の障害・精神疾患であれば、

本人も周りも気づかないのかもしれない。

家族がいなかったり、関係が希薄だったりすると尚更だと思う。


そして、「今自分がどういう状態なのかが分からない」という人が、

自分から役所の窓口に行くとは僕は思えません。

何が何だか分からないまま路上を彷徨い続けている人も多いと思います。

そういう人を無理やり簡易宿泊所に連れてきても、

ほとんどの人が逃げ出します。

かと言って、無理やり縛り付ける訳にも行きません・・・


「無理やり施設に押し込む訳にはいかない」

「でも路上を彷徨っているのは問題だ」


そもそも制度って、その制度の事を理解出来る人にしか使えないんですよね・・・


関連記事:障害のあるホームレス


2012年7月10日火曜日

正直ホームレス、拾った80万円を届け出る=ブラジル

【こぼれ話】正直ホームレス、拾った80万円を届け出る=ブラジル(時事ドットコム)

>【サンパウロ9日AFP時事】
>ブラジルのサンパウロの橋の下で暮らしているホームレスのカップルが9日、
>歩道で2万レアル(約80万円)が入ったゴミ袋を拾い、すぐに警察に届け出た。
>警察によると、2人は夜明けにぶらぶら歩いていたところ、警報がなるのが聞こえた。
>何だろうと思ってその方向に近づこうとして、ブリーフケースとゴミ袋につまづき、
>現金を発見した。
>2人はすぐに近くの警備員に連絡し、警察を呼んでもらった。
>警察官が到着すると、2人はすぐに見つけたお金を差し出したという。
>警察はこのお金は先週、日本料理店から盗まれたものの可能性があるとみている。
>警察は、2人がお金を持って逃げる機会があったのにそうしなかったのは、
>非常に感心なことだとしている。
>お金を見つけた男性の方はマスコミに対して、
>収入はリサイクル可能なゴミを集めて売って1日に7ドルちょっとだと話した。
>男性は、「母から決して盗んではいけないと教えられた」と語った。
>〔AFP=時事〕(2012/07/10-11:18)


ホームレスには意外と(?)こういう人が多いです。

めちゃくちゃ頑固だったり正直だったり。


ホームレスが生活保護をもらわない理由として(精神障害等がある場合を除きますが)、

「そんなものに頼りたくない」というのがあります。

僕もその中の一人でした。

昨今の、雇用の不安定化で、真面目に働いていたのに、

あっという間にホームレスに転落してしまったという人も多いです。

「今までちゃんと働いてきたのに生活保護なんて受けたくない」


という思いのままネカフェ難民を続けている人も多いのでは、と思います。

事実、僕が簡易宿泊所に入っていた時、不正受給狙いのチンピラは別ですが、

「生活保護を受けたくない」と言っている人が何人かいました。


僕も生活保護を申請するまでは悩みっぱなしでした。


「もっとギリギリまで頑張れたんじゃないか。」

「朝から晩まで休みなく働いてお金を貯めれたんじゃないか。」

「何で生活保護の申請なんてしなきゃならないんだ、毎日働けるじゃないか。」

「もっと貰わなくちゃいけない人が他にいるんじゃないか。」

「一日一食でも死ぬことは無いだろう。」

「もっと頑張れないのか。」

「自力で這い上がれないのか。」


今でも後悔する事があります・・・

2012年7月9日月曜日

公園のホームレス対策

僕自身、ホームレスになるまで全然気づかなかったんですが、

公園にはもうホームレスの居場所は無い。

僕の頭の中では「ホームレス=公園」というイメージがあったので、

ネカフェ代が無い時や、お金を節約したい時は何も考えずに公園に行ったのですが、

公園の「ホームレス対策」は意外と進んでいる様でした。

もちろん、公園は寝る場所ではないので、それに対して「元通りにしろ」と言うつもりは無いですが。


「公園 ホームレス対策 ベンチ」でGoogleの画像検索をしてみると、

たくさんヒットしました。


                             (元URL:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/be/3b7ab928d9a21bfd23e3ca1e0658ca16.jpg)




                (元URL:http://yanasegawa.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/11/16/dscn4694_320.jpg)


                                                             (元URL:http://blog-imgs-31.fc2.com/t/k/i/tkiyoto/BW_Upload_renji.jpg)


                      (元URL:http://img.pics.livedoor.com/004/6/8/680d9e8e064bc4d533a6-LL.jpg)


大体似たような感じですかね。

京都市内の、人が集まりやすそうな公園もこんな形のベンチになってました。

こんな形でも無理やり寝ているホームレスの人も何人かはいたのですが、

僕は到底頑張れそうもなかったので、

その辺の石垣の上で寝たりしてました・・・


勿論、公園はホームレスが寝る為の場所では無いので、

市民からの苦情や要請があり、こういった対策をするのは良いとは思うのですが、

どう考えても普通に座りにくいと思います・・・

実際僕も座ってみましたが、

窮屈すぎてあんまりゆっくり出来なかったです。

もう少し良い対策法があれば良いなぁと思います。

2012年7月8日日曜日

生活保護申請時の審査の甘さ

何故不正受給は無くならないか。

一言で言うと、役所の審査が「性善説」に立っているからです。


生活保護申請時にチェックされる項目は、

①銀行口座の残高

②不動産所有の有無

③株式所有の有無

④血縁者に扶養能力があるかどうか

⑤暴力団員ではないか

⑥現在収入はあるか

大体この辺りについて聞き込みがされます。

僕も生活保護を受給する際、上記の点を確認されたのですが、

全て自己申告でした。



①の「銀行口座の残高」については、自己申告+明細の提出のみでした。

役所は、居住地区近辺の銀行口座しかチェックしていません。

他府県の銀行口座までチェックするシステムが無いのです。

②・③についても同様です。

税務署・法務局等で確認を取る事はもちろん可能ですが、

システム化されておらず、非常に手間がかかる為、

現時点では自己申告に頼るしか無いというのが現状です。

④の血縁者に扶養能力があるかどうか、という点ですが、

基本的には、両親や兄弟に通知が行きます。

「○○さんが生活保護の申請をされましたが、援助は難しいですか?」

といった内容の書類です。

血縁者の現在の収入等を記載する欄があり、

援助可能と役所が判断したら、生活保護は受給されません。

これも、自己申告で拒否が可能です。

僕の場合は、実家が借金まみれでカルト宗教狂いという状況で、

もう関わりたくない。という旨を伝えました。

不正受給を企む人の場合、

「昔からDVがひどかった」

「虐待されていた」

等々の嘘をついて、血縁者に通知が行くのを拒否しているケースが多い様です。

この辺りも、いちいち確認を取っていてはキリが無いのだろうと思います。

⑤の暴力団員かどうかという点については、

腕に刺青が入ってる等、分かりやすい人が申請に来た場合、

警察に照会をしているとの事です。

ですが、パッと見で怪しい点が無い限りは、照会はしていない様です。

そして⑥の収入関連のチェックですが、これに限り、チェックはしっかり行われています。

給与明細の提出が義務付けられており、

更に、年に一回、所得税の課税情報が役所の福祉担当に伝えられます。

その時に、申告額とのずれが無いかを再度チェックされます。

収入があり、所得税も納めている場合、誤魔化すことは難しいです。

ですが、所得税を納めていない場合、役所の方ではチェック出来ません。


どういう事かと言うと、

①雇用主側が税務署に通知していない
②偽名で日雇い等の仕事をしている
③オークション等で収入があるが、申告していない

等々の理由で、収入が表に出ない人達というのが存在します。

そういった人達が役所側に「収入ゼロ」と申告していた場合、

役所側で不正受給を見抜く事は難しいだろうと言われています。


生活保護申請時のチェック項目については、

申請した人が本当に困窮しているのか、

疑い出せばキリが無く、

また、完全にチェックするシステムが出来上がっていない為、

性善説に立つしか無いのだと思います。

最近、

年内にも、全国の銀行口座が一括でチェック出来るシステムを作るというニュースがありました。

(参考リンク:「生活保護不正防止に銀行本店で預金を一括照会」)

こういった動きで、多少不正受給を発見しやすくなるとは思うけど、

他の点についても、徐々に完全にチェック出来る仕組みが出来ればと思います。

不正受給が無くなり、

本当に困っていて生活保護を受給している人達へのバッシングも無くなればと思います。


関連記事:「週刊ダイヤモンド」の生活保護特集を読んだ感想


2012年7月6日金曜日

「苦役列車」を読んだ


7月14日から公開される、「苦役列車」。

この映画が観たくて、昨日原作を買ってきて、先ほど読み終わった。

去年、芥川賞を受賞したらしいのだけれど、

去年といえば僕は一年の半分がホームレスだったので、

話題になった事とか全然知らなかった。

(参考リンク:映画「苦役列車」公式サイト
↑を見る限りだと、ちょっと明るいタッチの映画になっているのかな。
(参考リンク:新潮社「苦役列車」


とりあえず読んでみたんだけど、ひたすらリアル。

私小説という事で、著者の若い頃の話がベースになっているのだろうと思う。


主人公は中卒の19歳の日雇い労働者。

三畳のボロアパートに住み、港にある冷凍倉庫で働き、日当をもらっては酒を飲み、

風俗に行き、部屋で自慰行為をし、ラジオを聴きながら薄いタオルケットの上で眠る。

食欲と性欲は人並みにあるので、日当をもらっては無計画に使い、

手持ちのお金が職場への交通費程度になったらまた日雇い労働に行く。

いつも同じ服を着て、家賃滞納→夜逃げを繰り返し、友達も恋人もいない。


非常に自堕落な生活をしているが、コンプレックスの塊で、プライドも変に高い。

こういう人をここ1年くらい派遣労働の現場でよく見た。

未来の明るい大学生を「親のすねかじり」とバカにし、

毎日同じ服を着て死んだ目で働く。

日当をもらったら、パチンコ・酒に使い、手持ちが無くなるまでは働かない。

自分たちが格差社会の底辺にいる事が分かっているけど、

変にプライドが高い為、卑屈な態度を取り続ける。

そして、下品で幼稚。

この小説の主人公も下品で幼稚だ。

恐らく悪気は無いのだろうと思う。

社会経験が乏しいのか、人と関わり合った事が少ないからか、理由は分からないが、

派遣労働者には幼稚な人が多い。

悪気は無いのだろうけど、身勝手で、相手の事を考えず、現実をあまり知らない。

そして、下品。

僕もあまり品のあるタイプの人間では無いけども・・・


僕は高校を卒業してすぐにサラリーマンになったのだけど、

「自立して朝から晩まで毎日働いている」という事でアイデンティティを保っていた気がする。

大学生や専門学生が本当は羨ましいくせに、

羨ましがってない素振りをし、

唯一自分が学生達より上に立てる、「働いて収入がある」という事実を振りかざしていた。

何年か経てば同い年のほとんどの学生が自分より上の立場になる。

その事実から少しの間でも逃れたかったのかもしれない。


生まれながらの格差というのは確かにある。

低所得世帯で育ったり、親が頭おかしかったり。

この作品の主人公も「ワケあり」だ。

中卒で働いているにはそれなりに理由がある。

お金の使い方が幼稚なのにも理由がある。

人の気持が分からず、人との付き合い方が分からないのにも理由がある。

それが僕も分かるからこそ、非常に痛々しく感じてしまいました。


この小説では、

派遣労働者の下品で幼稚な面が上手く書かれていて、

でもそれだけではなく、乾いた明るさみたいなのが漂っている。

途中、自分とダブらせてしまい、

リアル過ぎて読んでいて辛くなる部分も多数あったけど、

不思議とスラスラ読める小説でした。


映画はまた違った雰囲気なのかもしれないけど、

公開されたら観に行ってみようと思います。

生活保護で贅沢出来るのは不正受給者だけ

ちょっと前の記事みたいなんだけど、

NEWSポストセブンの『大阪西成区 「生活保護受ける」ことは「福祉に入るという』

という記事を読んだ。


>「玉出、安いわな。5食パックサッポロ一番塩ラーメン298円や。
>毎日、それにキャベツ入れて食べてる。
>100円のかき揚げで、うどんの時もあるがな。皿ないんで、フライパン、鍋から直接や。
>しかし今日は、回転寿司。めったにないごっつぉですわ」

>「わし、結核で…働けん……世間さまに申しわけ立たん…駅の掃除…2000円な」

>「30年ほど前に離婚して。和食と中華のホール係で、働いてきました。けど、血圧低いしC型肝炎。
>毎日病院通いです。胆のう手術もしましてな。
>区に相談したら、ほな生活保護受けえというてくれまして。
>切り詰め切り詰めの、生活です。
>昼ごはんは食パン1枚に決めて。マーガリンつけて。
>夕飯は、いまはナスビやね。
><玉出>で4本200円、麻婆ナスの素も買うてきて2回分つくれます。
>夕飯終わったら、安売り狙うてまた<玉出>に行きます。7時くらいから値引き始まるの。
>肉、魚に半額シール貼ってある。
>5枚切り食パンも、水、土曜は、半額の125円になるから、2斤買うてきて冷蔵庫に保管してな」

              ※「玉出」というのは、西成区にある「スーパー玉出」という24時間営業の激安スーパーの事です。


どこまで本当の話かは分からないけど、これが本来の生活保護受給者の生活に近いと思う。

記事に出てくる、西成の生活保護受給者の生活保護の支給額は、

月額12万円との事。僕が支給されていた額と同じ。


生活保護受給者の住んでいる部屋の家賃は、平均35000円程度だと思います。

12万円から3万5千円を引いて、8万5千円。

光熱費が2万円だとして、残り6万5千円。

食費が3万円だとして、残り3万5千円。

酒・タバコ代に月2万円として、残りが雑費(身の回りのものを購入したり)。


生活保護支給額、個人的には、

多いとも少ないとも思いません。

最低限の生活(家があり、風呂に入れて、毎日ご飯が食べれる)+ちょっと小遣いがある。


という感じ。

税金で生活している以上、「もっと支給しろ!」というのも厳しいものがあると思いますが、

これ以上支給額を減らしてしまうと、

本当に「ただ呼吸をしているだけの状態」になってしまうと思います。

最近、生活保護に対して、「もらい得」等とよく言われているのを見ますが、

決して贅沢なんて出来ない支給額になっています。

生活保護を受給して贅沢が出来るのは不正受給者のみです。


その辺りはキチンと計算して今の受給額になっていると思います。

その上、役所からしっかりと管理されます。


働いていたら、まだ未来への可能性はあります。

今現在の日本の雇用や労働賃金の悪化を考えると、

そんなに希望いっぱいではありませんが、

生活が向上する可能性はゼロでは無いと思います。

ですが、生活保護受給者の生活が向上する可能性はゼロです。

毎日毎日変化が無く、ただ死ぬのを待っているような生活です。

「働くより、生活保護を受給してた方が良い」という意見もよく見ますが、

僕は、早く抜け出したくて仕方がなかったです。

2012年7月4日水曜日

改正派遣法について勉強してみた

今年の3月末に、改正派遣法が制定されました。

僕もネットの記事でチラッとは読んだのですが、ちゃんと読む時間が取れてなかったので、

少し勉強してみました。

本年度中には適用されるという事ですが、

いつ頃から適用されるのかという点と、まだ不確定な要素が多いみたいなので、

引き続き注目して行きたいと思います。

現時点で分かっている点を少しまとめてみました。


①日雇い派遣の一部禁止

「日雇い」又は「30日以内の短期派遣」が原則禁止になる様です。

ここで一つ注意したいのが、「派遣労働の禁止ではない」という事です。

「派遣元(派遣会社)」「登録スタッフ」の間での雇用契約が、

「日雇い」であったり、「30日以内での雇用契約」だとダメですよ、という事です。

なので、派遣先は今までどおり、必要な時に必要な数の派遣労働者を頼む事が出来る様です。

そしてもう一つは、

「雇用機会の確保が特に困難な場合」は日雇い労働を認めるという方向の様です。

恐らく、主婦や高齢者等々、仕事がしたくてもなかなか見つけられないという方の場合は、

認めますよ、という風になるのではないかと思います。


②グループ内企業への派遣は8割まで

大企業の場合、

グループ内で派遣会社を作っている所が多いです。

派遣会社と同じグループ会社への派遣が、派遣会社の全派遣スタッフの総労働時間の、

8割までしか認めません、という事です。

派遣先が一社であろうと数社であろうと、特定の企業に対してのみ派遣を行う事を、

「専ら派遣(もっぱらはけん)」と言うらしく、労働者派遣法では禁止されていました。

ですが、基準が曖昧なので、こういう派遣会社は数多く存在している様です。

本来であれば、正社員で雇われるハズなのに、切りやすさやコスト等の理由で、

不安定な雇用形態で雇われている人が多いと言われています。

100%同じグループ会社へ派遣するのであれば、正規で雇用しなさいという事の様です。


③離職した労働者を派遣労働者として受け入れる事を禁止

退職した自社従業員を、

退職して一年以内に派遣労働者として受け入れる事が禁止される様です。

正社員や自社雇用のアルバイトを退職させて、

「派遣として勤務してくれるんだったら引き続き来て良いですよ」

というケースが多い為、規制がかかったのだと思います。

実際こういう話はよく聞きますね・・・


④派遣従業員の均衡処遇の確保

派遣従業員と派遣先の従業員が同じ業務を行なっていた場合、

不合理な差別等が起こらないように、企業内努力しなさい、という事の様です。

どういう効果があるのかはあまり分かりませんが・・・

「派遣だから」という理由で冷たく扱われたり、

休憩室が使えなかったりという事が少なくなるのでしょうか。


⑤派遣料金と、手数料割合の明示

派遣会社は当然、派遣先からの入金からマージンを取り、派遣労働者に支払っているのですが、

「マージンをいくら派遣会社が取っているのか」

「派遣先は派遣会社にいくら支払っているのか」

というのをきちんと派遣労働者に説明しなさいよ、という事です。

具体的にどうやって説明するのかは分かりませんが、

恐らく、webサイト上や、派遣会社に登録する際に説明するのかなぁと思います。

やはり働いている側にとっては非常に気になる点なので、早めに適応されれば良いなと思います。


⑥「直接雇用みなし規定」の設立

もし「違法派遣」(二重派遣等)があった場合、派遣先が違法だと知りながら受け入れている場合、

「派遣先」「派遣労働者」に対して労働契約を申し込んだものとみなす、との事です。

つまり、違法派遣だと知りつつ派遣労働者を受け入れていた場合は、

正規の従業員にしなさい、という事の様です。



久しぶりに勉強して疲れました・・・

実際「派遣」という労働形態は無くならないでしょうし、

個人的には「派遣=絶対悪」とは思わないのですが、

改正派遣法が適用される事により、派遣会社への監視の目も厳しくなるでしょうし、

悪質な派遣会社が減ったりすれば良いなと思います。

マージンの明示によって、

派遣労働者が少しでも良い条件で働ける様になればとも思います。

実際の所、派遣じゃないと働けない人や、

派遣労働者がいるから回っている企業も多いですしね・・・

2012年7月3日火曜日

「ネカフェ難民」からの抜け出し方

「ネカフェ難民」からの抜け出し方。


ネカフェ難民が全国で何人いるのかという正確なデータは無いらしい。

何年か前の厚生労働省の発表では、5400人という数字が出ていたけど、

あまりあてにならない様に思います。

何故なら、ネカフェ難民は路上生活者と違い、実態が掴みづらいのです。

一定の場所にいる訳でもなければ、身なりもそれなりに綺麗にしている人が多いです。

「ネカフェ難民」と言っても、サウナ・試写室等、色々な場所を転々としている人も多いです。

宿泊費があるので、当然収入がある人がほとんどです。

多くの場合は、日雇い労働をしているのだと思います。

一見、普通の人に見えるのに、実はネカフェで寝泊まりしている、という人も多いです。

収入はある。でも宿泊費や食費に使わなければいけないから、貯金が出来ない、

貯金が出来ないから家も借りれない。というループに陥っている人がほとんどです。

じゃあそのループから抜け出すにはどうしたら良いか。

僕が思いつく限りでは次の二つです。


①寮付きの職場で仕事をして、お金を貯める

②セーフティネットを利用する


そもそも、ネカフェ難民には頼れる人はいません。

実家に帰るとか、友人宅でしばらく泊めてもらうとか、

そういった選択肢が無いので、ネカフェ暮らしをせざるを得ないという人がほとんどです。

もちろん、お金を貸してくれる人もいないでしょう。


まず、①の「寮付きの職場」ですが、

水商売以外だと、工場等が多いかと思います。

web上の求人サイトで検索したら、時期によりますが、いくつかヒットすると思います。

勤務時間が長かったり、体力が必要だったりして、少ししんどいかもしれませんが、

ネカフェ難民を続けるよりは、希望があります。

ただ、働く前に、寮の家賃・電気代・ガス代等の確認はしておくべきです。

寮付きの仕事が決まったは良いけど、給料のほとんどが家賃等で持っていかれる様だと、

仕事が無くなったらまたネカフェ難民に逆戻りしてしまいます。

数ヶ月働いたら、いくらくらい貯金が出来るか。というのを考えなければいけません。

ただ、僕もホームレス時代に幾つか応募したのですが、

雇ってもらえませんでした。

このご時世なので、応募が殺到しているという事もあるようです。

寮付きの仕事が見つからなかった場合、

すぐにセーフティ・ネットの利用を考えた方が現実的だと思います。


・「総合支援資金」「住宅手当」(共に厚生労働省主体の制度です)

・生活保護


この二つの利用を検討するべきです。

ネカフェ難民に一度堕ちてしまうと、根性ではなかなか抜け出せません。

日雇い労働はいつ仕事が無くなるかも分かりませんし、

日当から食費・ネカフェ代を捻出するとなると、まず貯金なんて出来ません。

誤解されている人も多い様ですが、住居が無くても、

セーフティ・ネットの利用は可能です。

ハローワーク・役所でも資料等がもらえますので、

時間のある時に一度相談してみるべきだと思います。


2012年7月2日月曜日

生活保護受給中にアルバイトをする場合

生活保護を受けながらアルバイト等をする場合。


生活保護を受給しながらアルバイトをする事は可能です。

独身者の場合、地域によって違いますが、生活保護費は月々12万円前後くらいかと思います。

「最低限の文化的な生活が出来る金額」を国が設定しているので、

人によって受給額が違うという事は基本的には無い様です。


生活保護受給者がアルバイトをする場合、気をつけなければいけないポイントがあります。

「最低限の文化的な生活が出来る金額」に達していない、例えば完全に無職の人の場合、

生活保護費は全額支給されます。

逆に、月に数万円の収入がある状態だと、

「最低限の文化的な生活が出来る金額」から収入を引いた額が支給されます。

なので、収入があろうが無かろうが、生活保護を受給している以上、

月々入って来るお金はほぼ一定になります。


ただし、収入分が全額引かれる訳ではありません。

仕事をしていると、どうしても必要経費的なものが発生します。

交通費や、休憩中に取る食事だったり、仕事に必要な物を購入したり。

様々な支出があるだろうという事で、

収入の額に応じて、一定の金額が控除される仕組みになっています。

なので、「全く働かずに生活保護のみで生活している人」

よりも「アルバイトで収入がある人」の方が、

多少、入ってくるお金が多い事になります。


僕の場合、生活保護費は月々12万円。

月に約6万円程度の収入があった時、15000円前後が控除されていました。

60000円から15000円を引くと、45000円です。

生活保護費から45000円を引いた金額が支給されるので、

支給額は75000円。

それにアルバイトでの収入を足すと、135000円になります。


下の画像は、東京都の場合の基礎控除額表になります。


                       (第68次改定生活保護基準額表 1級地-1 24年4月1日より)


地域によって、月々の生活保護費の支給額・控除額の金額は違う様ですが、

基本的には、アルバイト等の収入があった方が生活は楽になると思います。

2012年7月1日日曜日

前科があると、生活保護は受給しやすい

僕が泊まっていた簡易宿泊所には、刑務所から出てきたばかりの人が何人かいた。

もちろんその人達はみんな生活保護狙い。

みんな、暴力団の正式な構成員ではなかった。

「後ろ盾」「ケツ持ち」色々言い方はあるみたいだけど、

そういう形態での付き合い方をしている様だった。


前科があると、生活保護は受給しやすい。

何故なら、就職が難しいから。

例えば、刺青が入っていたり、

職歴が無かったり。

ネットで検索して犯罪歴が出てくる程の罪じゃなくても、

就職の際の簡単な身辺調査でバレてしまうとか。

もちろんそれは言い訳でしかない。

そういう状態でも働ける場所はいくらでもある。

でもこういった理由を挙げて、「だから就職出来ないんですよ」

と言われると、どうしようもない。

前科がある人の中には当然、

工場とかに何とか就職して再スタートしている人も多いとは思うけど、

簡易宿泊所に入ってる前科持ちは、みんな生活保護狙い。


そしてもう一つの理由が、再犯防止。

こっちの意味合いの方が、ひょっとしたら大きいのじゃないかとも思ってしまう。

お金に困って強盗・詐欺・覚せい剤の売買等の犯罪行為を行われるよりは、

生活保護を渡しておとなしくしてもらおう。という事なんだと思う。

そして、生活保護受給者の家には、大体1~3ヶ月に一回くらいの頻度で、

役所の人間が家庭訪問に訪れる。

ある程度は監視出来るので、野放しにしておくよりは良いのかなと思います。


「前科持ちだと生活保護が受給しやすい」と聞いて、

「そんな馬鹿な話があるか」と僕は一瞬思ってしまったんですけど、

確かに野放しにされて地域の治安が悪くなったりするよりは、良いのかなぁと思いました。

でも、「生活保護を受けてるからおとなしくする」という前科者も少ないのかもしれないです。

僕が宿泊所で出会ったチンピラ達は、

「生活保護費もらいながらちょっとゆっくりして、しばらくしたらシノギかけるねん」

と豪快に笑ってました( ゚д゚)