高校を卒業した日の夜、
僕は夜行バスに乗り、埼玉へ向かいました。
数時間前までは高校生だったのに、
イキナリ違う世界に進んだ様に感じ、ワクワクしたのを覚えています。
城島(仮名)という人と一緒でした。
城島は僕の二つ上の歳で、その後も長い付き合いになりました。
埼玉に着いたのは、早朝6時頃だったと思います。
僕を埼玉への転勤に誘ってくれた上司、小野さん(仮名)の家へ向かいました。
土地勘が全く無いので、タクシーで向かったのを覚えています。
小野さんと合流し、埼玉支店へと向かいました。
社員の人と挨拶や自己紹介なんかを済ませ、翌日から勤務する事になりました。
埼玉支店の店長に小野さんが就任していたので、
何となく、やりやすい雰囲気でした。
埼玉に着いた翌日から、仕事が始まりました。
と言っても、僕は高校を卒業したばっかりです。
まだ世の中の事も知らず、
仕事も全然出来ません。
出勤したらまず、支店のトイレ掃除。
その後、支店長(小野さん)の机や電話を掃除。
その後も掃除や雑用を済ませて、
それから仕事をするという日々でした。
週に2日程、支店長の家の掃除もしました。
風呂からリビングから寝室まで掃除をしました。
当時は「何でこんな事やらなくちゃいけないんだ」
とふてくされていたのですが、
今思えば、高校を卒業したばかりの小僧の使い道というのは、
掃除や雑用くらいしか無かったんだろうなぁと思います。
また、怒られる事も非常に多かったのを覚えています。
ヒドイ時は、一週間毎日何時間も怒鳴られていました。
体育会系の訪問販売の会社だったので、怒り方もハンパでは無かったです。
言われている事は分かるのだけれども、
それに対してどうすれば良いのか全然分からなかった僕は、
ただ返事をするしかありませんでした。
仕事の仕組み自体、何も分かっていなかったのです。
支店長や、上司や、同僚からも怒られ続け、
日に日に僕は弱って行きました。
これが社会というものなんだなと、どこか他人ごとの様に感じていた時期もありました。
でも、逃げて実家に帰るという考えは全くありませんでした。
仕事をしても結果も出ず、楽しくはなかったハズなのですが、
それでも実家に戻るよりはマシでした。
逃げたくなる自分を騙して騙して、会社にしがみついていました。
僕は元々コミュニケーション能力も低く、
というより、高校の途中くらいから人を避ける様になってしまっていたので、
会話というものが極端に下手でした。
そんな僕がイキナリ営業が上手くなるなんて有り得ないと思い、
少しずつ話し方の本を買って勉強したりもしました。
すぐ結果に繋がるなんて事はありませんでしたが。
埼玉へ行って丁度半年ほど経った時、
小野支店長が「辞めようと思っている」と言いました。
お金の事で会社と揉めている様でした。
小野さんが辞めるなら僕も辞めようか。そう考えました。
良い結果も出せてないし、営業とかは僕には全然向いてないのかなと思っていました。
小野さんが辞める何日か前に、僕は京都に戻りました。
京都へ戻ってすぐ、京都本社へ挨拶へ行きました。
辞めようと思っていたのですが、
上の人達と少し話した結果、続ける事になりました。
実家は相変わらず狂っていましたが、
仕事があるおかげで、
家には寝に帰るという感じの生活になりました。
そしてそのうち、京都に僕と一緒に戻っていた城島の家に転がり込んだりして、
実家を出たり入ったりというのが何度かありました。
京都本社で勤務し始めてしばらくしてから、
正式な社員になれました。
丁度20歳くらいの時には、仕事が楽しくなって来ました。
会社自体はとてもグレーな会社でしたが、
ちゃんと働いてお給料をもらい、
両親みたいないい加減な人達にならない様にと、毎日頑張りました。
僕が21歳の時、愛知の支店が業務停止になりました。
愛知・岐阜・三重県の三県の消費者センターが合同で摘発するという、
前代未聞の出来事で、TVニュースにもなりました。
「このまま続けるのはヤバイんじゃないか」
そう考えた僕は、
城島と一緒に退職しました。
ちょうど今と同じ季節でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿