2012年7月28日土曜日

僕の話(初めての就職)

高校を卒業した日の夜、

僕は夜行バスに乗り、埼玉へ向かいました。

数時間前までは高校生だったのに、

イキナリ違う世界に進んだ様に感じ、ワクワクしたのを覚えています。

城島(仮名)という人と一緒でした。

城島は僕の二つ上の歳で、その後も長い付き合いになりました。


埼玉に着いたのは、早朝6時頃だったと思います。

僕を埼玉への転勤に誘ってくれた上司、小野さん(仮名)の家へ向かいました。

土地勘が全く無いので、タクシーで向かったのを覚えています。


小野さんと合流し、埼玉支店へと向かいました。

社員の人と挨拶や自己紹介なんかを済ませ、翌日から勤務する事になりました。

埼玉支店の店長に小野さんが就任していたので、

何となく、やりやすい雰囲気でした。


埼玉に着いた翌日から、仕事が始まりました。

と言っても、僕は高校を卒業したばっかりです。

まだ世の中の事も知らず、

仕事も全然出来ません。


出勤したらまず、支店のトイレ掃除。

その後、支店長(小野さん)の机や電話を掃除。

その後も掃除や雑用を済ませて、

それから仕事をするという日々でした。

週に2日程、支店長の家の掃除もしました。

風呂からリビングから寝室まで掃除をしました。


当時は「何でこんな事やらなくちゃいけないんだ」

とふてくされていたのですが、

今思えば、高校を卒業したばかりの小僧の使い道というのは、

掃除や雑用くらいしか無かったんだろうなぁと思います。


また、怒られる事も非常に多かったのを覚えています。

ヒドイ時は、一週間毎日何時間も怒鳴られていました。

体育会系の訪問販売の会社だったので、怒り方もハンパでは無かったです。

言われている事は分かるのだけれども、

それに対してどうすれば良いのか全然分からなかった僕は、

ただ返事をするしかありませんでした。

仕事の仕組み自体、何も分かっていなかったのです。


支店長や、上司や、同僚からも怒られ続け、

日に日に僕は弱って行きました。

これが社会というものなんだなと、どこか他人ごとの様に感じていた時期もありました。


でも、逃げて実家に帰るという考えは全くありませんでした。

仕事をしても結果も出ず、楽しくはなかったハズなのですが、

それでも実家に戻るよりはマシでした。

逃げたくなる自分を騙して騙して、会社にしがみついていました。


僕は元々コミュニケーション能力も低く、

というより、高校の途中くらいから人を避ける様になってしまっていたので、

会話というものが極端に下手でした。

そんな僕がイキナリ営業が上手くなるなんて有り得ないと思い、

少しずつ話し方の本を買って勉強したりもしました。

すぐ結果に繋がるなんて事はありませんでしたが。


埼玉へ行って丁度半年ほど経った時、

小野支店長が「辞めようと思っている」と言いました。

お金の事で会社と揉めている様でした。

小野さんが辞めるなら僕も辞めようか。そう考えました。

良い結果も出せてないし、営業とかは僕には全然向いてないのかなと思っていました。


小野さんが辞める何日か前に、僕は京都に戻りました。

京都へ戻ってすぐ、京都本社へ挨拶へ行きました。

辞めようと思っていたのですが、

上の人達と少し話した結果、続ける事になりました。


実家は相変わらず狂っていましたが、

仕事があるおかげで、

家には寝に帰るという感じの生活になりました。

そしてそのうち、京都に僕と一緒に戻っていた城島の家に転がり込んだりして、

実家を出たり入ったりというのが何度かありました。


京都本社で勤務し始めてしばらくしてから、

正式な社員になれました。

丁度20歳くらいの時には、仕事が楽しくなって来ました。

会社自体はとてもグレーな会社でしたが、

ちゃんと働いてお給料をもらい、

両親みたいないい加減な人達にならない様にと、毎日頑張りました。


僕が21歳の時、愛知の支店が業務停止になりました。

愛知・岐阜・三重県の三県の消費者センターが合同で摘発するという、

前代未聞の出来事で、TVニュースにもなりました。


「このまま続けるのはヤバイんじゃないか」

そう考えた僕は、

城島と一緒に退職しました。

ちょうど今と同じ季節でした。

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