働いていた会社に、愛知支店が業務停止処分を下された事をきっかけに、
僕は会社を辞めた。
高校生の時から数えると、4年ちょっとの勤務だった。
長いような、短いような。
辞めてみるとすごくあっけない気分だった。
会社を辞めた後、僕は同じ業界の会社に入った。
と言っても、前にいた会社よりは随分とマシな会社だった。
新しい会社も教育関係の会社だったが、
以前の職場みたいに、高額な教材を無理矢理ローン契約で買わせる様な会社ではなかった。
そこで、中谷という男に出会った。
中谷はそこの支店長だった。
自分では気付いていなかったが、
僕も少しは営業の事も分かってきた様だった。
まだまだ「バリバリの営業マン」と言うには程遠かったけど。
順調に業務をこなして行き、数ヶ月した頃、
中谷から独立を誘われた。
正直な所、僕は独立して仕事をする事に興味があった。
実家の状況が状況だったので、
人より多く稼がないと、将来が真っ暗だと思っていた。
将来結婚して、子供を育てて、ちゃんとした家庭を築きたい。
そのためには、人より多い収入が必要だ。僕はそう思っていた。
僕は中谷と一緒に独立する事に決め、
以前の会社で仲良くなった城島を誘った。
城島も自営業に興味があったみたいで、あっさり誘いに乗ってきた。
今思えば、相当無計画だったと思う。
それぞれ貯金もそんなに無かったので、
場所を探すのにも苦労した。
結局、マンションを一部屋借りて、
そこを事務所として使う事にした。
最初は法人化せずに仕事を始めて、
上手く回りだしたら法人化しよう、という感じで始めた。
従業員は、僕と中谷と城島の三人。
勢いだけで始めても意外と何とかなるもので、
事務所はマンションだけれども、
中に机を置き、電話を引き、PC等を置いて行くと、会社ぽくなったのを覚えている。
応援してくれる人もたくさんいた。
以前同じ職場にいた人や、その人の紹介。
様々な人から仕事を紹介してもらい、仕事も手伝ってもらい、
徐々に「自営業は楽しいかもしれない」と思える様になった。
あまり儲かってはいなかったけれど。
仕事で使う資料から名刺からマニュアルまで、
全て自分達で作った。楽しかった。
ほとんど以前いた会社の劣化コピーという感じだったけど。
お金の事もそうだけど、
全部自分たちで責任を持って、考えてやって行くというのがたまらなく楽しかった。
「明日はどうしようか」「来月はどうしようか」
頭の中は仕事の事でいっぱいだった。
あんなに苦手だった営業も、楽しく思える様になって来た。
しばらくすると、求人誌に求人広告を打ち、
アルバイトも雇えた。
人が徐々に増え、マンションでは流石に狭くなって来た。
少しずつ少しずつ、会社になって行くのが楽しかった。
だけど、徐々に三人の方向性のズレが大きくなって来た。
城島は、父親が市会議員・母親が税理士という家に育った。
それなりに金持ちみたいだった。
城島が独立したかったのも「会社員はしんどいから」という理由だった。
城島は、毎日事務所に来て、ダラダラ誰かと一日話すだけという毎日になった。
中谷も、「雨降ってるから営業回るのやめよう」等と言い出す様になった。
自営業を始めた当初は緊張感もあったのだけれど、
今までみんな会社員だったから、
急に自由に働ける様になって、ダラダラし始めたのだ。
僕だけが焦っていた。
雨でも雪でも一人で外回りを続けた。(当たり前の話だが)
毎日毎日仕事の事ばかり考えた。
二人の事は嫌いじゃなかったが、仕事のやり方は合わないと思い始めた。
でも、今更辞める訳にも行かないので、
方向性について色々話しながら、仕事を続けて行った。
自営業を始めて三年程経った頃、
事務所を移転出来る事になった。
マンションの一室から、今度はちゃんとしたテナントを借りれる様になった。
仕事の関係で知り合った管理会社が管理しているビルで、
初期費用等もだいぶ安くしてもらえた。
そろそろ法人化かなぁという話が出始めた頃、
僕は一旦離脱する事に決めた。
この二人と法人化しても会社はコケるだろうと思っていた。
以前よりはマシにはなっていたが、
二人のサボり癖は相変わらずだった。
これ以上この二人とやってたら、
僕までダメになってしまいそうだと思った。
「ちょっとやりたい事が出来た」
そう告げ、僕は退職した。
もっと、ちゃんとした人達と働きたかった。
ダラダラした仕事をして、状況が悪くなるのは嫌だった。
25歳の夏だった。
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