2012年7月29日日曜日

僕の話(独立した頃の話)

働いていた会社に、愛知支店が業務停止処分を下された事をきっかけに、

僕は会社を辞めた。

高校生の時から数えると、4年ちょっとの勤務だった。

長いような、短いような。

辞めてみるとすごくあっけない気分だった。


会社を辞めた後、僕は同じ業界の会社に入った。

と言っても、前にいた会社よりは随分とマシな会社だった。

新しい会社も教育関係の会社だったが、

以前の職場みたいに、高額な教材を無理矢理ローン契約で買わせる様な会社ではなかった。

そこで、中谷という男に出会った。

中谷はそこの支店長だった。


自分では気付いていなかったが、

僕も少しは営業の事も分かってきた様だった。

まだまだ「バリバリの営業マン」と言うには程遠かったけど。

順調に業務をこなして行き、数ヶ月した頃、

中谷から独立を誘われた。


正直な所、僕は独立して仕事をする事に興味があった。

実家の状況が状況だったので、

人より多く稼がないと、将来が真っ暗だと思っていた。

将来結婚して、子供を育てて、ちゃんとした家庭を築きたい。

そのためには、人より多い収入が必要だ。僕はそう思っていた。


僕は中谷と一緒に独立する事に決め、

以前の会社で仲良くなった城島を誘った。

城島も自営業に興味があったみたいで、あっさり誘いに乗ってきた。


今思えば、相当無計画だったと思う。

それぞれ貯金もそんなに無かったので、

場所を探すのにも苦労した。

結局、マンションを一部屋借りて、

そこを事務所として使う事にした。

最初は法人化せずに仕事を始めて、

上手く回りだしたら法人化しよう、という感じで始めた。

従業員は、僕と中谷と城島の三人。


勢いだけで始めても意外と何とかなるもので、

事務所はマンションだけれども、

中に机を置き、電話を引き、PC等を置いて行くと、会社ぽくなったのを覚えている。

応援してくれる人もたくさんいた。

以前同じ職場にいた人や、その人の紹介。

様々な人から仕事を紹介してもらい、仕事も手伝ってもらい、

徐々に「自営業は楽しいかもしれない」と思える様になった。

あまり儲かってはいなかったけれど。


仕事で使う資料から名刺からマニュアルまで、

全て自分達で作った。楽しかった。

ほとんど以前いた会社の劣化コピーという感じだったけど。

お金の事もそうだけど、

全部自分たちで責任を持って、考えてやって行くというのがたまらなく楽しかった。

「明日はどうしようか」「来月はどうしようか」

頭の中は仕事の事でいっぱいだった。

あんなに苦手だった営業も、楽しく思える様になって来た。


しばらくすると、求人誌に求人広告を打ち、

アルバイトも雇えた。

人が徐々に増え、マンションでは流石に狭くなって来た。

少しずつ少しずつ、会社になって行くのが楽しかった。


だけど、徐々に三人の方向性のズレが大きくなって来た。

城島は、父親が市会議員・母親が税理士という家に育った。

それなりに金持ちみたいだった。

城島が独立したかったのも「会社員はしんどいから」という理由だった。

城島は、毎日事務所に来て、ダラダラ誰かと一日話すだけという毎日になった。

中谷も、「雨降ってるから営業回るのやめよう」等と言い出す様になった。


自営業を始めた当初は緊張感もあったのだけれど、

今までみんな会社員だったから、

急に自由に働ける様になって、ダラダラし始めたのだ。

僕だけが焦っていた。

雨でも雪でも一人で外回りを続けた。(当たり前の話だが)

毎日毎日仕事の事ばかり考えた。

二人の事は嫌いじゃなかったが、仕事のやり方は合わないと思い始めた。

でも、今更辞める訳にも行かないので、

方向性について色々話しながら、仕事を続けて行った。


自営業を始めて三年程経った頃、

事務所を移転出来る事になった。

マンションの一室から、今度はちゃんとしたテナントを借りれる様になった。

仕事の関係で知り合った管理会社が管理しているビルで、

初期費用等もだいぶ安くしてもらえた。


そろそろ法人化かなぁという話が出始めた頃、

僕は一旦離脱する事に決めた。

この二人と法人化しても会社はコケるだろうと思っていた。

以前よりはマシにはなっていたが、

二人のサボり癖は相変わらずだった。

これ以上この二人とやってたら、

僕までダメになってしまいそうだと思った。


「ちょっとやりたい事が出来た」

そう告げ、僕は退職した。


もっと、ちゃんとした人達と働きたかった。

ダラダラした仕事をして、状況が悪くなるのは嫌だった。

25歳の夏だった。

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