自分達で立ち上げた会社を、
僕はあっさりと後にしました。
もう一度就職して、今度はちゃんと方向性の合う人といずれ独立しよう。
30歳くらいまでは勉強したりしよう。
そう思い、就職活動をする事にした。
IT企業から呉服関係まで、
営業職を中心に片っ端から応募した。
ある程度体育会系な会社でも大丈夫な自信があったので、
選り好みせず、どんどん面接に行った。
でも、就職は決まらなかった。
採用された会社もいくつかったけど、
保証人がいないというのでダメになった。
それは覚悟の上だったけれど、
でも少し甘く考えすぎていたのかもしれない。
そうこうしているうちに、就活中の生活費も少なくなって来たので、
派遣のアルバイトを始めた。
ネット上でも、荷扱いが荒いというので有名な物流の会社だった。
生まれて初めてのブルーカラー。
ハッキリ言ってめちゃくちゃしんどかった。
精神的には耐えられたけど、体力が全然もたなかった。
生まれてこの方、運動なんてロクにした事もなかった。
水のペットボトルが何本も入ったケースを延々と積み上げたり、
10tトラックから荷物を下ろしたり、積み込んだりという作業は、
運動経験ゼロの僕には地獄だった。
初めて勤務した翌日は、筋肉痛で動けなかった。
でも働かなきゃ就職が出来ない。
早く就職する為に、何とか毎日働いた。
一月もしてだいぶ仕事に慣れてくると、
他の現場にも行かせてもらえる様になった。
病院内で薬品を運搬する仕事や、
印刷工場での仕事。
どれもしんどかったけど、
体力が付いてきた事もあり、
汗を流して働くというのも意外と悪くないなぁなんて思い始めていた。
少し健康的な身体になりつつあるのも嬉しかった。
同じ派遣スタッフの友達もいくつか出来た。
ワケアリの人が多かったけど、
みんな毎日必死に働いていた。
僕はそういう人が凄く好きな事に気付いた。
多分、父親と母親と真逆のタイプだからだと思う。
借金だらけなのに必死に働こうとはしない父親と、
現実から逃げてカルト宗教にのめり込む母親。
一生懸命働いている人が好きなのは、親とは真逆だからかもしれない。
派遣のアルバイトを初めて半年が過ぎた頃、
実家が引っ越す事が分かった。
僕はその頃実家で寝起きしていて、
ある日起きたらメモが置いてある事に気付いた。
「来週引っ越す事になりました」
目が点になった。
どう考えてもおかしいだろう。
いくらお互いに会話が無いからと言って、
もう少し早く教えてくれるもんなんじゃないのか。
でも文句を言っている暇も無かった。
一週間で部屋なんか探せるだろうか。
そんな時、中谷から連絡があった。
特に内容も無い、「最近どうしてる?」程度の連絡だった。
仕事のやり方は嫌いだったけど、人間的には別に嫌いでもなかったので、
就活をしている事や、派遣で働いている事を話した。
中谷は中谷で、新しい仲間を見つけ、前より良い方向に進んでいる様だった。
従業員も前より増えているらしかった。
城島は相変わらずサボり癖が治らず、
もうほとんど働いていないとの事だった。
僕は中谷に、一週間以内に引っ越さなければならない事を伝えた。
不動産管理会社といくつか繋がりがある事は僕も当然知っていたので、
良い物件を紹介してもらえたらという思いがあった。
中谷はあっさり管理会社を紹介してくれた。
書類上、契約は来月からになるけど、すぐにでも入居して良いとの事だった。
この時ばかりは流石に中谷に感謝した。
急いで荷物を纏めて、アパートに入居した。
お世辞にもキレイなマンションには程遠い作りだったけど、
彼女がいる訳でも無いし、
男一人が貧乏暮らしをするには丁度良い部屋だった。
その時僕はすでに25歳になっていた。
良い歳だ。
どんどん焦る様になっていた気がする。
年を越して1月になっても、
僕はまだ派遣で働いていた。
就活は全然上手く行っていない。
そんな時、中谷から連絡があった。
「また一緒にやらないか?」という連絡だった。
僕はすぐに断った。
一緒にやっても上手く行くイメージが無かった。
でも中谷はしつこかった。
最終的に、
従業員として雇う事と、就職が決まり次第辞める事を条件に、
僕は中谷の会社に社員として入社した。
これが全ての間違いだった。
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